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悲しみと、喜びと

久しぶりの投稿です。

この数週間、いろんな情報やシステム、手続き、人の想いが世の中に溢れすぎて正直しんどかった〜。

こういう時はあえてのデジタルデトックス。素敵な音楽を聴きながら自然の中を歩き、夜は暗い浴室でアロマキャンドルをつけて温かいお風呂にゆっくり浸かりながら頭から首筋をマッサージ。

自分を大切に、大切に。
今日もよく頑張ったね、と自分を褒めながら。

タイミング良く、高校の時の部活仲間全員でウン10年ぶり集まった。何よりの心のお洗濯タイム。

メンバーの一人がお誕生日が近かったので「お誕生日おめでとう!」と皆で言ったら「母を亡くしたところだから、私はお祝いとか、めでたいとか、あかんねん。」とポツリと呟いた。

ハッと思った。
そっか、喪中という考え方。
アメリカにはなかったなあ。

アメリカでは告別式はFuneralと言う。
でも実際によく参列したのは教会でのMemorial Service (追悼式)が多かった。墓地でのBurial Service(埋葬式)に参列した時には土葬や弔砲(故人が軍に所属されていた方の場合)に驚いた。金門橋の下の海に散骨に行ったこともあった。

メモリアル・サービスは亡くなられてから数週間〜1ヶ月程経ってから、大きなお写真とお花で聖壇を飾り、写真やビデオ、家族や友人、牧師先生のお話で故人のこれまでの歩みと生き様を振り返る。

だからだろうか。。。

故人が亡くなられた哀しみ、もう会えない別れの辛さ、よりも
その方がこの世に生まれてきてくれたこと、
私たちと家族や友人でいてくれたこと、
世のため、人のために働いたその功績に想いを馳せ、
この世に故人が存在してくれた事そのものに感謝するお式となる。
そこに悲愴感はない。

命日よりも誕生日に重きをおく。
あなたがこの世に生まれて来てくれてありがとう。
あなたがいてくれたから私が今ここにいる。
あなたに出会うことができた。
あなたと家族や友達になれた。

喪中ハガキを出される皆さま
故人の人生を丁寧に悼んであげてください。
そして、
今、あなたがこの世に存在していることは
祝っていいのですよ、きっと。


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