誰かへ
こんばんは。今日は完全に自語りの思い出話です。
⚠️若干、うつ、暴力、暴言、etcあります
ご注意ください。
〇失敗作の私
「私、女の子じゃないかもしれない。」
長い沈黙だった、実際1分の、体感1時間。
完全にタイミングを間違えたと悟った。
あの沈黙で悟った。私は、いや僕は、
失敗作だったのだ。
小学生、ボカロの趣味を全否定食らった時からどうもおかしいなと感じていた。なにがって?それは僕の親のことである。気づかなかった、全然。これが普通だと思っていた。ずっと、彼氏を作れと圧をかけられ、その時はずっともやもやしていた。
その違和感に気づいたのは少し前、祖父が亡くなってから数ヶ月後の合唱コンクールからである。肺癌が全身に転移し診察してからすぐに入院して、ずっと生きたいと述べていた強く逞しく破天荒な祖父は亡くなった。亡くなる少し前、孫には心配させたくないからと必ず僕たちの前では気丈に理性を保ち、合唱コンクール頑張るから見に来て欲しいな!と言うと、絶対行くぞ!と言ってくれた。もう、その時には死んでしまうと分かっていたのに、合唱コンクール当日、その時のことを鮮明に思い出してしまい、数ヶ月経ってようやく、祖父は居ないんだ、と実感が湧いてしまい、ポロポロと零れた涙は段々と粒を大きくした。
その時、ずっと側にいて支えてくれた親友に友情ではない何かを抱いていた。何か、特別なものだった。それを恋愛感情ではないか、と感じていた。ふわっと。ただ、問題は1つ。
親友は女の子だったのだ。
所謂、「身体的性別」が「女」ということである。母の友人は定かでは無いが、「性的違和」や「表現が定まっていない」人が居た。その人が近くに居るから何をカミングアウトされても大丈夫だなんて、不確定なことを言っていた。だから、信じてたんだ。
「私、女の子じゃないかもしれない。」
沈黙が怖かった、長かった。何を考えているのか全く読み取れない、フリーズしてからハッとして母に視線をやると大号泣していた。ぎょっとして、なんで泣くの!?と言えば、
「そんな子に育てた覚えはなかった。」
「どうしてそんなこと言うの。」
「女の子じゃないってことは男の子なの?」
「それ凄く気持ち悪い。友達いなくなるよ。絶対後悔するよ。言わない方がいいよ。」
内容も若干辛かったが、そんなことよりも責め立てるような口調と劈く悲鳴が耳に刺さった。そして手をぐっと掴まれ、こう言われた。
「お願いだから、もうそんなことは言わないで。」
中学3年生の冬、ここから全てがおかしくなってしまった。
〇苦しい学校…?
高校1年生春、満開の桜、新しい制服、勿論スカートである。あの時の記憶はちゃんとしっかり頭に刻み込まれている。一言一句。スカートを着ても、そう制服に身を包んでも何も感じない。そう、私は中学3年生の冬、あれ以来「あの内容」を口にすることに恐怖を感じていた。かなりの恐怖で、しかしそれを知覚せずに過ごしていた。所謂傷に心がワセリンを塗りたくってくれている状態。がっちりと鉄壁のガードをしているのであった。
とても楽しい学校生活だった。新しい学校、新しいクラス、皆素敵な人たちで全員が仲が良く、グループというものが存在しなかった。全員が輪になって、誰とでも話せる状態である。こんなに友好的なクラスで嬉しくて仕方なかった。男の子に恋をすることで冬のことを、あの時に言われたことを忘れようとした。男の子を女の子として好きになろうと努力した。それが少しずつ上手くいって、学校生活にまたのめり込んで、毎日楽しかった。
夏までは。
夏、新課程である歴史総合、近現代の歴史を多角的に見て学ぶ科目である。そこでやったのは近年話題のジェンダー問題。先生もやったことない科目で手探りで授業を展開していて、自分も頑張って取り組んでいたが、ジェンダーという言葉は思った以上に私に刺々しかった。チクチクなんて痛みじゃないズドンと、重苦しい。何か圧を感じていた。この時から希死念慮にずっと駆られ、マイナス感情が振り切っていた。
そこから何か変になって、心が苦しくなることが増えた、頭をズキンズキンと脈打つような痛みに耐え難くなる瞬間が増えた。所謂心の病なのではないかと思った。病は気からなんて良く言うけど、そんな言葉届きもしなかった。確かに、身体が自然と拒否反応を起こしていた。気の持ちようだと親に言われていたが幾度となく頑張ってもその当時の私には無理なことだったのだ。
そんな私に夏休みの歴史総合の課題で出されたジェンダーの課題が高い高い壁のように立ちはだかった。本で調べていたが、そこで何かがプツンと切れた。本で知識を入れる度に頭に流れる言葉たち。それらが前に蓋をした私の古傷をドンドンと叩いてくるのだ。まるで、思い出せとでも言うように。
夏休み、ジェンダーのレポートに追われた。信じられないくらい知識を詰め込んだ。古傷と向き合うのは置いておき、まずは基礎知識を入れた。レポートを完成させようとすればするほど昔のあの出来事にずっと頭を悩まされ、ズキンズキンと脈打つ頭痛と戦いながら何とか完成し、提出した。
それから、自分の古傷が時々顔を出し、目の前を真っ暗にさせる。頭痛、耳鳴り、段々と酷くなり、楽しかったはずの学校生活が雲行き怪しくなってきた。保健室通いが続き、学校の図書室に場所が移り、秋はずっと学校の図書室に籠ることになった。
学校の制服が怖かった。性別を真っ二つに分けて普通の顔をして過ごしている皆が不思議だった。よく分からなかった。そのよく分からないという感情が不快感を皆に抱くきっかけになり、このままだと全員を嫌いになってしまうと考えた。
たまに、コンコンと図書室の入口にノックがあり、司書さんと少し会話を交わしてから私の方に近寄ってくる先生がいた。それが歴史総合の先生だった。
〇ロボット
私は先生と少しづつ距離を縮めた。私がこんなにも苦しめられた課題を出したのは先生だったが如何せん気兼ねなく話せて優しかった。真剣に本を読み、基礎知識を入れた上で思ったことは日本という国がジェンダー問題に着手していないということと同時に個人差が凄く大きくて着手し始めたらキリがないということだった。表だけ、カバーするだけでは足りない繊細な問題が山積みである。氷山の一角とは正にこういう時に使うのだなと感じた。
自分は当事者に当てはまるのだと思う。ラインが難しい問題の1つだと思う。しかし、私はとある本と出会い自分を表すための言葉を学んだ。ようやく、これで自分の説明ができる!!と歓喜に満ちたのもつかの間、私はやはり女ではなく、男でもない、人間なのである。私は人間であり性別に囚われたくないと考えている。恋愛対象は人間、身体的性別は問わないということである。
これをようやく理解した私はまだ言えなかった。私はあの冬の寒い日に決意したのだ。女の子として生きなければ、と。そうだ私は気持ち悪い、イレギュラーな存在である。だから本当の私は隠して過ごさなければならない。先生は干渉しすぎない立場に居てくれる。話したい、出来ることなら、でもまた否定されたら怖い、怖い。こわい。
怖くて、苦しくて、重い、気持ち悪い、苦しい、日常生活がどんどんとままならなくなっていく。過ごせなくなっていく。怖い。気の持ちようと言われればそうかもしれない、ただ今は苦し過ぎて耐えられない。何も見れない。誰とも話したくない。人が怖い。お風呂に入っても下を見つめて2時間ずっとぼーっとする。ベッドに寝て無気力にただ1日を過ごす。何もしていないのに涙が止まらない。完全にうつだった。
母から「だからお前は駄目なんだ」「お前は気持ち悪い」などそういう言葉がボロボロになるまでとんでくる。そんな言葉なくとももうとっくに言葉に呑まれてやられているというのに。少しでも行動をミスしてしまうと、「だからお前は…」と言葉を連ねる。おそらく母は叩けば動くロボットだと思っている。燃料不足で底に落ちてしまったロボットはもう立てない。
〇あのレポートと向き合って
歴史総合の先生は好きだったので、歴史総合の授業は少しだけたまに出席していた。楽しかった。皆でディスカッションも、全部。目はずっと下を見ていたけど、制服を見るのが怖かった。自分が着ていると自覚してしまったら終わると思った。
そして関門が訪れてしまった。「あのレポート」を発表するらしいのだ。私はレポートを2枚用意していた。建前と本心。私が提出したのは本心の方だったこれを発表するということは私の本心を告白するのと変わらない。つまり私のジェンダーの形をカミングアウトするのと同じである。
4人組で一旦発表したが、レポートの裏に書くことになっているポスターを見れば大体考えがわかる。皆、「男性と女性ついて」述べていたのだ。まずい、と冷や汗が額を伝う。私の内容とは全く異なる内容でしかも私は男と女の差については語っていなかった。そのとき歴史総合の先生からの視線を感じた。まるで「内容良いから自信もって」とでもいうように強い勇気を私にくれた。
ええい!!!!もうなんとでもなれ!!!
私が発表したのは「レインボーフラッグと選挙について」。ポスターは背景を虹色に塗って十人十色を表現、誰のものか分からないニュートラルな手で投票箱に票を入れているポスターである。緊張どころの騒ぎじゃない。心臓は強く鼓動していた。苦しくて死ぬかと思った。何度も何度も手が震えて、声が震えて、仕舞いには泣きそうになった。しかも教卓へ行きみんなの前で発表とかいう訳の分からないこともさせられてクラス全体に私のカミングアウトが…他の人の発表を聞いてもあまり刺さらなかったむしろ苦しくなるばかりだった。
御手洗を見ても更衣室を見ても制服を見ても皆のポスターを見ても、どこにもない。ない。私がいない。男性と女性が目の前でチカチカする。赤と青を真っ二つにしているポスター、赤と青が混ざって紫で平等を表しているポスター。皆の考えが頭をぐるぐると掻き回す。その当時の私は余裕も何も無く、考えてること、理解出来る。分かりやすい。と思っていても、私がいない。いない。いない。と苦しくなっていく。息が詰まって沈んでしまう。教卓を前にして、皆を見渡すと息がまた詰まって苦しい。これをもし言って、皆に嫌われてしまったら?おかしいと思われたら?
あの時みたいに気持ち悪いと言われたら…?
心臓がずっと昂っていた。ハッとしたとき、先生が少し離れたところから私をじっと見ていた。その視線で一旦冷静になることが出来た。ただ嫌がっているようにしか見えないだろう。先生は何を見透かしていたのか、優しい顔をしてから1度、「準備は出来てますか?」と声をかけてくれた。その声でまた冷静さを取り戻して深呼吸をすることが出来た。細く息を吐いてから「大丈夫です。」と言った。
ポスターの発表はやはり上手くいかなかった。冷静さを取り戻してもカミングアウトに違いない。いつしかの脳裏にこびりついてしまった記憶を、トラウマをずっとフラッシュバックして目がチカチカする。耐え難いその苦しみに息が乱れそうになり、冷静さを取り戻そうとすると涙が込み上げる。
泣かないように必死に伝えて、長い3分が終わった。拍手を聞いた時にはもう足はがくがくしていてゆっくり歩きながら席に戻った。でも、この経験が私にまた大きな1歩を踏み出させてくれる。
〇先生と大切な友人
一旦、ポスターなんていう間接的な形じゃなくて、自分自身を上手く話せるようにならないとこの話は一生伝わらないし、自分に自信も持てない。ずっと過去が付き纏い、苦しみに晒されることになる。絶対に嫌だった。だから、行動に移すことにした。
あのポスターの件からそこそこの時が経ち、ようやく誰かに話そうと決意し自分の言いたいことを端的にまとめた。本から得た知識を総括、そして私の今の状態を簡単に伝え、皆に伝えることをまとめた。まずは学校の友人ではなくネットで親しくしてくれている友人達数名に伝えてから伝えようと考えた。1度練習しておきたかった。私にとってこれはトラウマを口にするのと同義であるから、迷ったけど進むことにした。
「あのね、私実は…」
口を開く度に何かが出てしまいそうで怖かった。葛藤しているということはその友人たちも分かっていたが何について苦しんでいたかまでは伝えていなかった。内容を口にしようとする度に嫌われる、嫌われる、嫌われる、とずっと考えていた。友人達は私が言葉を詰まらせる度に大丈夫だよ、と優しく言ってくれた。涙が熱い、でも伝えないと。心臓が内側からドンドンと叩いていた。
大体言い終わると、もうずっと泣いていて、目も赤くなり、腫れていた。その時にぽろぽろと泣きながら話してくれた1人の友人がいる。その人はとても優しくて私の気持ちを感じ取って、苦しさを受け取ってくれた。ああ、こんなに優しい人がいるんだなと痛感していた。言って良かったと心の底から思った。
先生にも伝えておこうと、私なりのケジメである。先生と話したいですと言ったら放課後に2時間ほどとってくれた。優しくてずっと受け身になってくれて、話を真っ直ぐ聞いてくれた。
「そうだったんだ、」
「先生の課題のせいですよ笑」
そんなこと言っていたら、先生がこちらにまた向き直って、もし差し支えなければ聞いてもいいかい?と言われたので返事をすると、どんどん質問を投げかけられた。
あ、そういえばこの人ジェンダー史読んでたって司書さんが言ってたし、ちゃんと勉強してるんだろうな。って凄く感銘を受けて素直に10個くらいの怒涛にくる質問たちに答えていった。すると一通り聞いて満足した先生が、ゆっくりとまた口にした。
「よかった。マリンがそうやって感じて勉強になってまた自分のことを分かって、前に進もうとしてくれて。」
なんて優しい言葉をかけられた。やっぱり心配してくれていたらしい。だからとても嬉しかった。
「先生は、否定しないんだね。」
「それはマリンの良いところでもあるからね。ジェンダーのことも含めて。」
本当に優しい時間だった。あの時がなかったらもっと閉じこもってたし酷かったら命を投げ捨てていたかもしれない。そのくらい死に瀕していた。優しい口調で言葉でゆっくりと過去のトラウマを包んでくれた。ずっと大好きな先生。
友人や先生は良い人たちばかりで、自分のことに必死すぎて周りが見えていなかったけれど、ああ、本当に周りに恵まれているなと強く感じた。
〇その後
同じクラスの子達や、昔から仲の良い友人にゆっくり話し、理解を得ることが出来た。また、自分にとっては大きい出来事だったのだが、実は親にも全部話すことが出来た。ケロッといいよと言われたのに驚いたが、これが気分屋ということだろう。ヒステリックも混じっている親は本当に怖くて沸点もどこか分からないしキレる時は必ずキンキンとした声で叫ぶ。暴言たっぷり、暴力そこそこにといった塩梅である。それにもずっと悩まされていてやはり今現在でとトラウマになっている。酷かった話は沢山あるが、また長ーーくなってしまうのでまた今度。聞いてて気持ちのいい話でもないから。
高校1年生のあの時から自己肯定感の低さ、過度な自己犠牲心、マイナスに振り切りすぎているところ、希死念慮がずっと付き纏っていた。実は高校2年生の春頃から「ぽろぽろと泣きながら話してくれた1人の友人」とお付き合いをさせてもらっていた。その人にこんな私でいいの?女の子じゃないよ?と言ったら、マリンじゃなきゃ駄目だ。マリンだからいいんだ。と強く言ってくれて、それからずっと私と真摯に向き合ってくれていた。今こうして少しでも前を向いていられるのは恋人のおかげ。
「私、付き合ってから毎日が少しずつ幸せになってやっぱり苦しいこともあるけど、でももっと一緒に居たいから、死にたいって感じること少なくなった。ずっと一緒にいてくれてありがとうね。」
と言ったら、ボロボロ泣きながらこちらこそありがとうと告げてくれたとても素敵で優しい人。大切にしたいと思ってる。
後日、高校2年生に進級した時に歴史総合の先生は生徒たちから沢山の手紙と花をもらって次の学校に行った。そして、先生達が「先生って良い職業なんですよ。」と語る会に私たちの学校にもう1度歴史総合の先生が来校した。友人が私に教えてくれて速攻応募して参加した。その時に教育委員会の人から受けた質問が1つだけあって、「今までで出会えてよかったと思っている先生はいますか?」という質問で指名されて、焦ったのなんのって。回答は「高校で出会った先生なんですけど、恥ずかしいので言えません。」と答えた。目の前に、本人がいるところでそんな小っ恥ずかしいこと言えなくて流石に諦めた。その会が終わってから、先生と少しだけ話した。
「お、マリンじゃないか。元気にしてた?」
「はい。元気でした。先生、私…」
私をよく見てくれて、認めてくれる恋人が出来ました。
「お、そうか、それはよかったな。」
先生はお幸せに。と上品な言葉をかけて私に笑顔を向けた。
〇最後に
ここまで長ーくお付き合い頂きありがとうございます🍀もう少しですのでお付き合い下さい。
私がこの時期に学んだことは次の3つです。
1.しっかりと言葉を調べて自分の口で説明できるようになること。
2.苦しいときは気の所為でもそうでなくても一旦止まってみること。
3.自分の好きなことを見つけそれを大切にし、前に進むことを諦めないこと。
これ本当に今の自分に大きく影響してて、精通してることです。全部大事なんですけど、休まないと死にます本当に人間って。悪い過去は変わらないから自分でこれからを変えるしかない。トラウマをずっと抱えるのは不可能では無いけど、それを軽くできるのは自分がそれに向き合えた時。蓋をしたとしても遠い未来それと戦うのは自分です。いくら延期したとしても必ずそうなります。
それなら、ゆっくりと止まりつつ向き合って、最善策を尽くす。その間に好きなことを息抜きにまた前を見つめる。見据える。そして歩き出す。本当に全部大事なことです。
もう1つだけ、大切にしたいことがあります。それは、
自分を大切にすることです。
やっぱりサイトとかで調べても必ずこの文言は出てきます。ふわふわとした抽象的な言葉、そんなこと出来てたらとっくに私は今幸せだった。といった意見も多々見てきたし、それを自分も昔は思ってました。これを私が達成出来たなと感じた瞬間がありました。
今周りにいる人に目を向けること。
自分から変わり、自分の力で進むこと。
少しずつ休憩とご褒美を設けること。
周りは変わりません。良くも悪くもずっと変わらない。大きい括りになればなるほど変わりません。だったら、自分がその状況に少しばかり適応して、その中で自分を大切にする瞬間を作ればいいんです。休憩やご褒美で自分の機嫌を自分でとるようにする。そして自分を責めすぎない。生きているだけで偉いんです。本当に。
周りに目を向けるだけで世界がグンと広くなります。ただ広すぎて困った経験がありました。自分が八方美人になってしまったのです。周りを恐れるようになりました。だったら、今友人で居てくれる人、近くにいてくれる人に目を向けることで相手の良さや人柄を少しずつ分かるようになり、その人が自分にとって大切になったり、見方が変わったりします。あまり広く目を向けると疲れるので最低限だけで十分。少しづつ広くして、自分に合う大きさを見つけられれば、それに越したことはありません。
これはあくまで個人の意見、そして私が大切にしていきたいことです。
ここまでお付き合い頂き感謝します。私の過去の話は口では伝えているのですが、形にしていなかったので今回はこうして形にしてみました。まだごく1部ですが、自分が変わった出来事を挙げてみました。似ている経験あった方、そしてそのことをトラウマだと思っている方、思い出させてしまったり、不快にさせてしまったら本当にごめんなさい。
この場をお借りして、先生、友人たち、そして恋人さん。本当にいつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。またこれを読んでこのことを初めて知って戸惑っている友人各位、大丈夫何も変わりません。私は私なので、本当にマリンとして関わってもらって大丈夫です。
遠くの誰かへ、大切な誰かへ、まだ出会っていない誰かへ。どうか、貴方の過去が幸せなものであっても、はたまた暗いものであったとしても、将来、貴方が貴方なりの力と方法で幸せになっていることを強く願っています。