【がん経験談インタビューNo.3】中咽頭がん経験者 花木さん
今日は中咽頭がんを経験された花木さんを紹介します!
花木さんは長い間治療を行っていました。
また、癌が見つかったのも38歳のAYA世代の時で
現在は仕事の復帰もされているそうです!
それでは紹介していきますね!
1.花木さんの癌とお仕事
花木さんは頭頚部がんの中の喉の中で口を開けて
見えないところに癌があったため
リンパ節の転移となりステージ4-Aでした。
仕事は療養含めて9か月休職したそうです。
治療と仕事の両立支援が出来る制度を使いながら
最終的には職場に復帰しました。
2.見つかったきっかけ
きっかけは
首部リンパ節が見つかったことでした。
ほうずえをついた際に
首の右側にピンポン玉ぐらいの腫れがあると気付き
耳鼻咽喉科に行き、診てもらい
喉の中見ても触診しても分からなかったため
風邪だと言われたそうです。
抗生物質を1か月飲んでいましたが
治ることはなく
この先生は怪しいと思い
精密検査受けるために紹介状を書いてもらい
精密検査の結果、癌が見つかったそうです。
その結果
元々中咽頭にあった癌が
首部の右リンパ節2か所転移していたことが分かりました。
3.抗がん剤治療開始
時間を空けてしまうと
遠隔転移をする可能性があることから
抗がん剤を約2か月通院で行うことになりました。
週1回の抗がん剤投与を8クール行いました。
副作用としては
という症状がありました。
4.放射線治療+抗がん剤治療開始
少しインターバルを取り
次に放射線治療と抗がん剤治療を
同時並行で約2か月弱行いました。
放射線治療は1日10分の照射を35回を平日毎日行う形です。
放射線を照射しながら3週間に1回
シスプラチンという抗がん剤も行いました。
こちらの抗がん剤は強かったため
投与の際は入院で治療でした。
シスプラチンは腎機能が低下して
尿が出にくいなど重篤な副作用が出る可能性があるため
その時期だけ入院治療になったそうです。
花木さんが経験した副作用として
がありました。
味覚とのどの痛みは
喉に放射線をあてた影響で発生してしまいました。
放射線治療10回目から味覚がなくなり
15回目からのどの中の粘膜がやけどのようになり
食事の際にのどが痛くなってしまいました。
そして、飲み込むことが辛くなり
照射を重ねるにつれて、食事が辛くなり
最終的に水やゼリーも呑み込めなくなってしまいました。
ご飯を食べれない状態になったため
胃に穴をあけてチューブで栄養剤をいれるという
胃ろうをしました。
最後の1か月は胃ろうで栄養剤を流し込む生活になりました。
ちなみに胃ろうは自宅で入れていたそうです。
のどの痛みは医療用麻薬飲んでいましたが
痛みが緩和するぐらいで気休め程度だったので
食事もとれず、飲み物も飲めなかったそうです。
ちなみに水は点滴で入れていました。
5.手術
その3か月後、癌はなくなり、職場復帰し
2年半後、局所再発して
手術をして摘出したそうです。
腫瘍が大きかったため
声帯も切除した方再発しにくいと言われていましたが
声を失うことが嫌だったため、腫瘍のみ切除しました。
4.現在と後遺症
現在は治療が終わって2年経ったそうです。
後遺症としては
というものがあります。
1つ目の「喉の渇き」については
水をこまめに飲まないとすぐ乾いてしまう状態で
水を飲みたいという渇き方というより
しゃべれない乾き方になります。
放射戦の後遺症の症状で発生してしまい
どこに行くでもペットボトルがないと不安なぐらいでした。
人以上に水を飲むようになりました。
ちょっと話すと声がかれたり、乾いたりするそうです。
2つ目の「首が動かしづらい」というのも
首にもリンパ節転移があり、首にも放射線をしたため
首が回らなかったり、つりそうになったり
肩が凝りやすい症状があります。
3つ目の「刺激物が食べれない」というのは
喉に刺激になるものは食べれないそうです。
辛い物やお酒は食べたり、飲んだりできない状態になりました。
早めに見つかったら遠隔転移はなかったが
もし遅かったら怖かった。
気になったら検査受けるのが大事だなと思ったそうです。
私も気になったらすぐ検査を受けて
放っておかないようにしようと思いました。
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ちなみに花木さんは
『キャンサーロスト ~「がん罹患後」をどう生きるか~』
も執筆されて出版されています!
こちらの本では花木さんのリアルな闘病生活やその後の仕事、結婚、生活などについても詳しく書かれています!
書店でも販売していますので気になる方はぜひご覧ください✨
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