20. 危篤の知らせ
生後46日目の夜、
まだ雲くんの実家で
お世話になっていた私に
雲くんから電話がかかってきた。
「蒼ちゃん(娘)、危篤やって!
今から迎えに行くから!」
「えっ・・・⁈ 分かった・・・!」
私は動揺しつつ、
慌てて出かける準備をした。
お義父さん、お義母さんに
蒼ちゃんが危篤だと伝えると
「外ちゃん、落ち着くんやで・・。
私らも後から行くから・・・。」
と心配そうに言った。
雲くんの迎えにきた車に乗りこんで
” 危篤って言っても乗り越えた子もいるし、
大丈夫・・・大丈夫・・・大丈夫・・・。”
そう自分に言い聞かせていた。
病院に着くと
いつも通り、
丁寧に手の消毒をしていたら
看護士さんが飛んできて
「もうそんなのいいから
早く入ってください!」
と言った。
その慌てぶりから
本当に危ない状態だと
悟った。
娘のベッドに行くと
娘は人工呼吸器を付けていた。
慌てて声をかける。
「蒼ちゃん! 蒼ちゃん!」
” 逝かないで・・・逝かないで・・・!”
すると、少しして心臓が動き出したようだった。
” 戻ってきてくれた "
と思ったけれど、
しんどそうで
ぐったりして見えた。
少しすると、
また心臓が止まり、
声をかけると再び心臓が動き、
また戻ってきてくれた。
”この状態からまた元の元気な娘に
戻れるのかな・・・。”
そんな事を思っていると
先生から娘の今の状態の説明があり、
「いつまで人口呼吸器を続けるか
ご家族で話し合ってください。」
と言われた。
【本人は苦しいのに
命だけ繋ぎとめている状態 】
だということを理解した。
娘を私の腕の中に抱きかかえる。
” 今日さよならなんだ・・・。"
ボロボロボロ・・・
涙が溢れる。
両家の両親が
病院に駆け付けてきたので
特別に入れてもらえた。
私の母は泣き声で娘をなでながら
「がんばりや・・・がんばりや・・・」
と声をかけていた。
私は
「もう十分がんばったから・・・。」
と言って
雲くんと顔を合わせた。
「もういいね・・・。」
先生に人工呼吸器をはずしてもらい、
私の腕の中で
完全に息を引き取った。
奇跡は起きなかった。
ボロボロボロボロ泣いても泣いても
涙が止まらない。
少し落ち着いてから先生が言った。
「こんな2回も戻ってきてくれる事なんて
ないですよ。
どうしても最期にお父さん、お母さんに
会いたかったんでしょうね・・・。」
先生にそう言われて
うん、うんと頷く私。
” こんなに辛い体なのに
まだお父さん、お母さんの側で生きたいと
思ってくれたんかな・・・ ”
きっとお父さん、お母さんが呼んでるから
戻らなきゃって思って
戻ってきてくれたんやね・・・”
娘が亡くなったのは
出産予定日の前日。
早産したのは子宮の炎症だと言われたけど、
きっと、出産予定日までお腹にいたら
お父さん、お母さんに会えないと思って
早めに出てきたんだ
と思った。
娘は私が母親で良かったと
思ってくれていただろうか。
今はもう、それを知る術はない。
こんなに辛い別れは
今まで生きてきて初めだ。
とても辛く悲しい一日だった。