見出し画像

みたされない

今日は図書館で「自分の人生に出会うために必要ないくつかのこと」を読んだ。
大事なことを思い出させてくれたように思う。

まだ全て読んでいないけど、「そういえば、私って心の底から感じた言葉を言ってないな」と思った。
真剣に真剣に文章を考えるということを怠ってきた、知らないうちに蔑ろにしていた。
自分と向き合うことも避けてきた。向き合っている振りをしてきた。今もそうなのかもしれない。
私はなんのために文章を書いているのか、考えてみたいと思った。
言葉の扱い方も。使うのではなく、「言葉の力を借りる」というのは自分にない考えだった。
当たり前のことを疑う、というのも大切なことなのだと思った。でも、忘れてしまう。すぐに。世の中で「よい」と言われていることが必ずしも「よい」とは限らない。

私には悪い癖がある。
自分の気持ちや起こったことを一般化してしまう、と言うものだ。これも藤原 七瀬さんの「賢者避行」を読むまで気が付かなかった。「賢者避行」の主人公は友人から小さいことを大きく考えると指摘されていた。「それってナンセンスだよな」みたいなことも。
数ヶ月前に読んだ作品なので違っていたらごめんなさい。

みたされない。満たされない。
書いても書いても満たされない。

心に、隙間が空いている。大きな漬物石のようなもので塞ごうとしているけれど、完全に塞ぐことは出来ない。だから、中途半端にすきま風が吹いている。
どうすれば、塞ぐことが出来るのだろう。もう答えは知っている気がする。だけど知らない。思い出せない。

いいねや承認では埋めることができないって知ってる。でも、いいねが欲しい。なんで、自分はいいねされないのだろう、いいこと言ってると思うのに、共感されそうな。なんで、自分だけ、取り残されるのだろう。

自分以外の人はみな私より優れているように見える。私以外の人は9割型普通の人間で(個性も失敗も、欠点も全部含めて普通)気持ちが悪く感じる。他人は小説に出てくる登場人物のよう。私だけまるで違う世界からやってきて、記憶を消されて、「あなたは元からこの世界にいるんですよ。この世界で生まれて、この世界で育って、この世界で死ぬのですよ」と思い込まされて生きているような。
私は世界から出ることはできるのだろうか。

稀に、自分と同じように外れている人間を見かけるけれど、近づきたくない。固まりたくない。「私はあなたとは違うのよ」と言いたい。
へらへら笑っている自分が嫌いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?