キリスト教と倫理の時間

キリスト教といえば学校の授業で何に属するのか、言わずもがな『社会』の『高校倫理』だ。

 1年間だけだったが、私も必修科目で受けていた。(男性)教師は明るくてほかの生徒から親しみやすさがあった。

 印象的だった瞬間は『東日本大震災』の後、彼はアンケートを行った。例えば「初めて津波の映像を観てどう思いましたか?」(いくつかの質問を筆記で回答、回収する)その中から彼が読んで感心した項目を発表した。

 「みんなを元気にするにはどうしたらいいでしょう?」「1人が笑顔になれば、それが広がって世界中も笑って幸せになる」そのような答え方をした生徒がいた。(それを書いたのは私ではない)

 宗教の授業は採り上げていないと思うが、マルコムⅩやキング牧師は憶えている。高校は野球部が有名で、坊主頭が一定数いたせいか、「マルコメ(Ⅹ)」と本気かわざとか間違えていた。大学では学内がキリスト教を信仰しているから、一般的な倫理の授業ではなくキリスト教を拡大、もしくは集中的に扱っていた。(科目名が『キリスト教倫理』だから)


 『高校倫理』といえば、倫理教師を主人公にした漫画は読んだ人がいるかもしれない。『ここは今から倫理です。』(雨瀬シオリ・箸)

“「倫理」とは人倫の道であり、道徳の規範となる原理。 学ばずとも将来、困る事はない学問。 クールな倫理教師・高柳が生徒たちの抱える問題と独自のスタンスで向かい合う──。 新時代、教師物語!!”(集英社グランドジャンプ 公式サイトより)➊

 倫理担当の高柳が苦悩や葛藤など抱える生徒(や教師)に寄り添い、解決のヒントへ導くこともある。

 物静かに見えるが、時には声を荒げる。暇を見つけては煙草を吸うこともある。少し意外な一面を覗かせると思うが、学生時代だけでなく成人・社会人になってもこのような人間が1人はいてほしい、もしくは会ってみたいものだ。

 期間は短かったが、4年前ドラマ化されている。私は都合上観られなかったが、母親は視聴済みだ。彼女は考察するタイプではないが、感想を訊いてみたかった。


 作中で高柳が以下のように発言した。

「倫理は、学ばなくても将来困る事はほぼ無い学問です。地理や歴史の様に生活する上で触れる事は多くないし、数学の様な汎用性も、英語の様な実用性もありません。この授業で得た知識が役に立つ仕事はほぼ無い。この知識がよく役に立つ場面があるとすれば、死が近づいた時とか。倫理は主に自分がひとりぼっちの時に使う。信じられるものがなくなった時、死が目前に迫った時、人は宗教による救いを求める。“宗教とは何か”

人間関係がうまくいかない、他人を羨んで妬んでうまく生きる事が出来ない。“よりよい生き方を考える”

悩みが絶えず苦しい…、憂鬱…、私は何の為に生きている? 昔の哲学者たちは生涯をかけ悩み続けた。“幸せとは何か”

『男はこうあるべき』とか『女はこうしなきゃダメ』とか…、そんなこと誰が決めた?“ジェンダーについて”

『死にたい…』“いのちとは何か”

どうですか。別に知らなくてもいいけれど、知っておいた方がいい気はしませんか」(第1巻・#1知らない事より)


倫理の授業とは、彼を例に挙げてみた。社会科というまとまりの一部に組み込まれているが、想像力を働かせなければならない現代国語のようで似ている。

ここでのコンセプトは『キリスト教を1人でも多く知ってもらうこと』だが、忌憚なく発言すると、私はほとんどノンクリスチャンと言ってもいい。しかし、僅かなクリスチャンの一面を持った自分を活かし、『ノンクリスチャンが見るキリスト教がハードルの低い、親しみやすい宗教』であると知ってもらえるきっかけになれば、個人的には嬉しく思う。現に私の言葉が、ある人物の人生を変えたのだ。

高柳の言う宗教観は否定できないが、信者がそんな理由で受洗したとは思えない。私は他人に教えることではないが、彼らは至ってポジティブに洗礼へ臨んだだろう。(こどもが後にどこかの新興宗教のように、生まれたことを後悔してしまえば本末転倒だ)


➊https://grandjump.shueisha.co.jp/rinri/

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はっしー(橋本洋乙)
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