暑い日々はまだ続いてるが、セミの声が少しずつ聞こえなくなっている。 その代わりにスズムシの声が聞こえてくるようになった。 ああ、秋だなあ。
実は最近、髪色を染めた。 あるプロ野球選手の髪色がとても綺麗だったので、私もやってみたい、気分を変えようと思った事がきっかけだ。 仕上がりは最高だ。 変わった事を誰かに気づいて欲しいとも思う。 しかし「髪、染めました?」と聞かれるばかりだった。 私は言いたかった。 「見たら分かるだろう」と。 面倒くさい人だと思われるかもしれないが、「染めた事を確認する」よりも「色についての感想」が欲しかった。 あの瞬間はなにか、寂しかった。
先日、結局彼女と別れる事になった。 その際にSNSの繋がりはこのままでいい?と問い、「いいよー」との返事を頂いて、安心した。 しかし今日、何気なくSNSを開くとフォロワーの数字が減っていた。 調べるとその彼女だった。(元々私はフォロワーが少ないので割とすぐに分かる) …何だろうか、このやるせなさ。 このままでいいよと答えたのに何故だ?と考え込み、帰宅してから私は吐いてしまった。 おそらく約束を反故されたからだろう。 「気持ちが〜」で済ますのか?この一言を使えばい
私は食事が大好きだ。 自分で料理を作ったり、誰かに作ってくれたり、料理を通じて会話する時間がとても尊いからだ。 「この料理おいしいね」 「何の味付けをしているの?」 「どうやって作ったの?」 などなど、こういう風に弾むと何だか嬉しくなる。 しかし、私はとある味の表現について気になった事がある。 それは「不味い」という表現。 不味い………? いささか疑問だ。何をもって不味いのか? 例えば 味が濃すぎたなら「味が濃い」 苦いなら「苦い」 などと上手な表現をしてはど
ある授業中でのクラスメイトと教師の会話が、私にとって衝撃的だった。 教師「終戦記念日はいつだったか知ってるか?」 クラスメイト「えーっと…8月6日?」 「マジか…!?」と、計り知れない程強く思った。 (忘れているだけだろう?正解を伝えてもピンと来るよな?)と勝手ながらビクビクした。 残念ながら、正解を聞いても「あぁ〜…えっ?そうだっけ?」と言い放ち、私は愕然とした。 日本人…というと規模が大きすぎるかもしれないが、この国に生まれたからには知っていて欲しかった。
7月末、私はとある場所から離れる事になり、8月からは新しい道に進む事になった。 緊張と不安でいっぱいいっぱいで、普段より口数が減っていると自分でも分かる。 新しい環境に置かれる前の日は本当に吐きそうになる。 だが2日目以降となると徐々に治まってくる。 周囲の手を煩わせて申し訳ないなとつくづく思うが、どうやってこの不安を対処していったらいいのか、自分でも分からない。 よろしければ教えてください。
最近は暑い日がずっと続いている。 その中で、去年ぐらいからか? 首に冷却リングを巻いてる人を見かけるようになった。 しかしあの見た目がどうも丸型の蛍光灯にしか見えない。 なにか可愛らしいラッピングをしたら見えなくなるかもしれないが とはいえど、蛍光灯を首に巻いている人を想像したらそこそこ面白いだろうな。
noteを書くのも10回目となった。 まだ10回目ではあるが、飽き性の自分が記し続けているのは驚きだ。 この時に自分はこう思っていた、考えていたんだという事が振り返れる意味では、noteを始めて良かったなと思う。 次は11回目を目指そう。
最近、中古車販売会社の問題がよくニュースに流れる。 その会社名を意識して「ヤッテモーター」との蔑称も耳にする。 なぜこういう時に関西弁が使われるのだろう? いささか馬鹿にされている気がするのは、私だけだろうか? 昨年は新語・流行語大賞で「知らんけど」もトップ10を果たしている。 流行るという事自体は特に悪い事ではないが、この言葉を使う関西人は、流行りではなく普段から使っている言葉である。 だからこの言葉に使い飽きた関西以外の方々には「まだそれ使ってて古い」と思って
私は映画館で映画鑑賞する事が好きだ。 とはいっても、年に何十・何百作品も観ている訳ではないが、あの空間で作品を観る事が大好きだ。 だが私の運が悪いのか?残念ながら最近、マナー違反をする者が多くなっている気がする。 「2,000円を払ったから映画館の治安は良くなる」かと思えば、「2,000円も払ったから多少の行動は許される」の考えを持つ者がいるという事なのか? 後者はおそらく映画鑑賞が向いていないだろう。 作品の世界観をぶち壊す行為は、絶対に控えてもらいたい。
今日は新幹線の車内チャイムで使用されている「AMBITIOUS JAPAN!」が聞き納めになる日だ。 同曲が初めて使用された2003年から20年も経つと、やはり思い出はたくさんある。 大好きな歌手のライブを観に行く際、ワクワクしながら利用した時。 楽しかった思い出と共に、名残惜しみながら利用した時。 大切な人とのお別れを見守るために、悲しみながら利用した時。 どんな時でも一緒について来てくれていた。 正直に言えば、今のチャイムが変更される事は寂しいが、これからは新しい
暑い日々が続く。 毎年言っているが、本当に暑い。 暑い時は物事を冷静に考えられない。 「今はこれが必要か?まあそんなの気にせず買っちゃえ!」という事が起きかねない。 例えば、普段身につけないアクセサリーを買った事とか。私みたいに。
体調不良の原因は「彼女から別れを申し込まれた事」だ。 「もう好きになれない、疲れた」と言われた。 あまりにも辛い、辛いからこそどうしていいのかが分からない。 「代わりに打ち込める物があるからそれで発散したらいい」と言われたが、実際そう上手く行かない。 何故ならその気力すら無いからだ。 はあ…どうしたらいいものか。
今日は高校野球を観戦した。 猛暑の中でプレーする球児には感動よりも、無事で試合を終えて欲しいという思いが上回る。 しかし今日は野球その物のプレーだけじゃなく、印象に残った姿が2つある。 1.スタンドからの声援 パンデミックから数年経ち、声出し応援が復活した事を私はとても嬉しく思う。 高校野球ならではの吹奏楽の応援もスタンドにこだまして、日常が帰ってきたなとしみじみした。 そう思っている中での出来事だ。 ピッチャーがランナーを出した時、応援スタンドから「大丈夫!」と、
今日は服を買いに行った。 今まではジャストサイズの服を好んでいたが、近頃はワンサイズ上のシャツを好んでいる。 みっちりしていた感覚が、余裕のある着心地になりとても着やすくなった。 自分も余裕のある人間になるぞ。
今日も体調は絶不調だ。 話し合いとは一体何だろう? 一方的に自分の気持ちを喋って、「はい、あなたはこれで納得してください」と押し付けられる物なのか? どうも腑に落ちない。 それでもこれで話し合ったつもりでいてるのが恐ろしい。