note版 第2回 ひねくれコラム

 【ひねくれコラム】 NO・319
【さらば友よ〔Farewell my friend〕〔敬称略〕

▼アラン・ドロンが逝った。天国の階段を上り、旅立った。容姿端麗(たんれい)、天下の色男。浮名も数々。印象に残るのはむろん「映画」。『太陽がいっぱい〔1960年〕』。陰のある男を演じ、その「ラストシーン」は鮮烈だった。完全犯罪を成し遂げた主人公ドロンが、燦燦と輝く太陽の下、白い砂浜のビーチチェアに横たわりカクテルを飲んでいる。すると売店の女性店員がドロンを呼ぶ。売店には数人の刑事〔デカ〕が潜んでいる。ドロンは立ち上がる。そして……。そこで「THE  END」。

▼その他、筆者が過去観た数々の映画〔洋画〕の中でも最高傑作に推挙するのは1968年、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』。ドロンとブロンソンの二人の犯罪を確信する敏腕デカが、ブロンソンを取り調べる。ところが、ブロンソンは口を閉ざしたまま。ドロンのことは吐かない。そしてブロンソンは留置場へー。その時、廊下の片隅にドロンが立っている。その前をブロンソンと敏腕デカが通る。そして、立ち止まる。ドロンは煙草を1本、ブロンソンへ。そっと火を点ける。敏腕デカが二人の表情を直視。すなわち、互いに眼と眼を合わせると共犯者として逮捕の覚悟。ところがドロンとブロンソンは眼と眼を合わさない。男と男の哀愁漂うシーンだ。そしてドロンが張り裂けんばかりの雄叫びを挙げる。「Yayー!〔イヤーー!〕」と。そこで幕が閉じる。

▼と、思いのまま、ン十年前の記憶をたどりながら、二つの映画を書き記したが、やはり見せどころは「ラストシーン」。『カサブランカ』『俺たちに明日はない』『スティング』等々。懐かしき安寧と平穏な過去を想す……。

▼ところが、現在の世界情勢には暗雲〔黒雲〕が漂う。露の侵略2年半にも及ぶウクライナ・露との戦争にも果てしない時間(とき)が刻まれる。しかし、侵略者は滅ぼさなければならない。如何なる手段を使おうとも、西欧の力を借りようともウクライナ国民のため、世界のため敗北は許されない。8月24日、ウクライナ「独立記念日」に、ゼレンスキーはこう言った。「プーチンは勝てない」「あなたは勝てない。そしてすべての責任をとらされる」。ゼレンスキーは、ウクライナ軍による露西部クルスク州への越境作戦ついて、「ロシアが我が国土に仕掛けたことをそのまま敵にはね返した」と。その上で、「(モスクワ)の赤い広場の老いぼれが赤い〔核〕ボタンを使って脅迫と指図をするのではなく、私たちウクライナ国家とウクライナ自身が自らの生き方と未来を決めていく。それが独立というものだ」。彼、ゼレンスキーの「胆力」と「闘争心」に衰えはない。この凄まじい「胆力」「闘争心」がある限り、敗北はない。そして「栄光」と「勝利」を得る。

▼一方、世界の注目を一身に浴びる女傑「ハリス」。大統領受託演説を聴いた。ついに「ガラスの天井」を打ち砕いた。9月にはトランプとの討論会がある。ハリスを貶めようと躍起になっているが、トランプが「ホワイトハウス」の椅子に座ることはない。「米国第一主義」か、「世界協調」か、イスラエル・ハマスも含め、世界平和はハリスの双肩に掛かっている。天上の神
「ゼウス」はどちらを導くか……。             ―夢追人―
 
 
 

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