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10.きみが一緒にいてくれたから、言葉がたくさん生まれたよ

noteを始めて2か月になりました。
のんびりゆっくり続けさせてもらっています。

記事をひとつ書き終えると、ささやかな達成感を味わえて、そればかりか時たまスマホがぽんと鳴り、遠くの誰かが「受け取りましたよ~」と知らせてくださる。
こんな予想外の幸せまでいただけるなんて本当に有難いです🙇

今のところは思い出の棚卸しみたいな記事ばかりですけれど、もしよろしければ今回もどうぞお付き合いください。


私はnoteするにあたって、家族のことは極力書かないようにしよう、と決めました。
内緒で記事を書いている以上、黙ってネタにするのはフェアじゃないよね、と思うので。
おそらく他の多くのご家庭と同様、良いこともそうでないことも盛り沢山にありましたから、これを掘り出して自分目線で好きなように書いたら、さぞかしすっきりするだろうな…と誘惑にかられますが、ここは我慢我慢。
ただ、"彼"のことを書こうとすれば、どうしても家族の話になってしまうので、今回だけはOKにしました。

"彼"と出会ったのは17年前。
当時は幼稚園に通う息子に弟か妹をとずっと願いながらなかなか授からず、どうやら一人っ子確定と思い始めた頃で、せめて兄弟代わりになればと犬を飼うことに決めました。
そうして我が家の一員となってくれたのが、"生後4週間の柴犬の男の子、"彼"です。
もちろんこれは、私たちが付けていつも呼んでいた名前ではありませんが、ここでは仮にこう呼ばせてください。


初対面は1月の寒い夜でした。
私が居間の絨毯にそっと置いた段ボール箱から、もぞもぞとはい出してきた"彼"を、息子はちょっぴりおじけづいたような、はにかんだような、それでも嬉しくてたまらないような、何とも複雑な表情で見つめていました。


その日から一緒の生活が始まったわけなのですが、実のところそれは、"彼"を迎える前にシミュレーションしていた「犬との暮らし」とはずいぶん違っていました。

夜鳴きをする(生まれてたった4週間でお母さんや兄弟犬と引き離されたのだから当然です)、室内のトイレをどうしても使ってくれない等々、困りごとはいくつもありました。中でも一番の想定外で頭を抱えてしまったのは、"彼"と息子がまったく仲良くなれないことでした。
吠えられたり甘噛みされるのを怖がって、息子は"彼"に近づこうとせず、私が"彼"の世話に手を取られていると不機嫌になり愚図りだします。

その頃の我が家は、家事も子どものことも全てワンオペでしたから、そこに子犬の世話まで加わると毎晩ヘトヘト。こんなはずじゃなかったのにと、安易に犬を迎えたことを後悔し、関わろうとしない連れ合いに対してもどんどん不満がつのっていきました。


それでもどうにかこうにか半年ほどが過ぎ、徐々に三人と一匹の生活のペースができて落ち着きかけた頃、どういうわけか"彼"がぴたりとフードを食べなくなってしまいました。
そればかりでなく、体をあちこちを激しく掻くようになり、どんどん毛が抜けて見る見る弱っていったのです。
動物病院で詳しい検査をしてもらったところ、獣医さんも驚くほどに、多くのものに対して強度のアレルギーがあるとわかりました。
この子はこの先限られたものだけを食べて、副作用覚悟で薬も使わなければ生きられないだろう、と。

ショックではありましたが、この時は何の迷いもなく、少しでも良くなるようにできることは最大限やると決めました。
連れ合いも、通院や療法食のドッグフード、薬、定期的なシャンプー等々にかかる費用を何も言わずに出してくれました。

息子の方はと言うと、小学生になってもしばらくは"彼"と距離をとっていましたが、次第にどちらも成長してお互いに慣れてきたのか、私が"彼"と散歩に出る時たまについてきてリードを持ったり、散歩のついでに近くの広場で"彼"と一緒に走って遊んだりするようになっていました。
それは、最初に期待していた「絵に描いたような仲良し兄弟」の姿とは違いましたけれど、いつの間にか、お互いいつもそこにいるのが当たり前、という感じになっていったのだと思います。

そうこうするうち、連れ合いも"彼"の様子を何かと気にして、撫でたり話しかけたりすることが増えていき、気づけば週末の散歩担当になっていました。
もしかしたら、息子よりも連れ合いの方が、はるかに"彼"の存在に癒され、助けられていたかも知れません。


今思い出しても、"彼"と散歩するのはとても楽しい時間でした。
とにかくお散歩大好きで、雨でも風でも大雪でも、一日二回朝晩の散歩は必須。
軽快に歩く"彼"の姿があまりに嬉しげに見えるので、よく「足元から8分音符が出てるね」と言って笑いました。

典型的なツンデレの甘えん坊のくせに、自分は息子より格上の「お兄ちゃん」だと思っていたらしく、私が怒りにまかせて息子を叱り飛ばしている時、こちらを見ながら「もう許してやってください」と言うように悲しげに鳴き続けるので、はっとさせられたりも。

思えば"彼"に関わるあれこれを共有するために、何かしら話すことで、かろうじて家族の会話が成り立っていた時期がけっこう長かったです。


そして、息子は次第に成長し、"彼"は年老いていきました。
与え続けた抗アレルギー剤の影響もあったのでしょう、12歳を過ぎると急に足が弱り、あまり食べなくなって、焼きたてパンのようだった毛並みも白っぽく変わりました。
おしめを使うようになりましたが、それでも朝晩の散歩は絶対に欠かせなくて、時間になるとヨロヨロと立ち上がり、「さあ、行きますよ」と言わんばかりの熱視線を送ってきます。
家から数十メートルの草地まで小一時間かけて往復するのがやっと。
そのうち歩けなくなり、じきに立つことも難しくなりました。


その時には、息子はもう家を出て県外の大学に通っていましたから、"彼"の様子を逐一知らせてはいませんでした。
獣医さんから別れが近いと言われた日、さすがに伝えなくてはと思い電話をすると、「申し訳ないけど、後期試験があるから帰れない」とのこと。
こちらも状況を伝えるだけのつもりでしたから、また何かあれば知らせるねと言って電話を切ったのですが、その日の夕方になって「夜行バスで夜中にそちらに着く、バス停まで迎えを頼む」とラインが入りました。


帰宅した息子は、まっすぐ"彼"のところに行くと顔を寄せ、両手を持って握ったまま何も言わず、ただしばらく互いの目をじっと見つめていました。
まるで、そうすることで人間の言葉を話さない"彼"と、最後にすべての思いを伝えあうかのように。

知らない間に、君たちはこんなに仲良し兄弟になってたんだね………
後ろで見ていた私は嬉しくて悲しくて、涙が止まりませんでした。


次の朝一番のバスで息子は帰って行き、それから数日後、"彼"は私と連れ合い二人に見送られて旅立ちました。

それから数ヶ月の間、よくぞこんなにヒトの体から涙と鼻水が出てくるものだと、自分で呆れるくらい泣きました。
ようやく涙が止まったあとには、"彼"を思い出すたびに、優しくて温かい何かが内側からじんわりと湧いてくるようになりました。
これはどうやら私だけではなく連れ合いも同じのようで、今でも毎日"彼"の名前が会話に出てきて、たいていその話は笑って終わります。

いつも"彼"に心の中で言い続けている言葉は、「ありがとう、きっといつかまた会おうね」

今は都会で一人暮らしをしながら働いている息子も、時々"彼"を思い出して力をもらえているといいな、と願っています。


お読みいただき、ありがとうございました🐪













 






















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