八方美人の後遺症?!〜なんでもかんでも『うん』という〜
いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです
心の病みで真っ暗だった50年
そこから一転
本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た
そんな私の
過去や今のストーリー
を綴ったブログです
私は東北で暮らす、50代のパート社員。
離婚して、今は高一の次男と暮らしている。
長女、長男は父と暮らしている。
今日、次男が『こうだみく』がさぁ〜。って話しかけてきた。
「うん」
…。あれ…?
「こうだくみ」じゃなくて?
次男はニヤっとして、『ママってさ、一回必ず「うん」って言う。それから「あれ?」ってなるんだよね。クセなんだろうなーっていつも思うんだよね』
そうだ。
私、昔、子供達によく言われていた。
ママはいつもその時は『うん』って言う。…だけど聞いてないっていつも後から言うって。
私は小さい頃から従順だった。親に嫌われたくない、見捨てられたくないから、なんでも『うん』だった。
寒くないだろう?って聞かれれば寒くても『うん』
腹減ってないだろう?って聞かれれば減っていても『うん』
欲しくないだろう?って聞かれれば欲しくても『うん』
いつだって、親が都合のいい方に『うん』と言っていた。
『うん』と言うしかなかった。
あとからお腹すいた…なんて言えば、さっき腹減ってないだろうっと烈火の如く叱られる。
怒れば、怒るな!
泣けば、泣くな!
拗ねれば、拗ねるな!
そんなこと思うな。そんなことで喜ぶな。
そう思うお前が嫌いだ。
全ての感情を禁じられた。親が良しとする感情が自分の感情だと思って生きてきていた。
そうゆう私も子供達に対していつだって、
なんで、この子は泣いているのか…?なんて、汲みとってあげれなかった。
私は嫌われたくない人だった。
もちろん意識では、『嫌われるのなんか平気!』って生きてきた。だけど無意識では、嫌われたくないから怯えている人だった。この乖離の激しさも息苦しいひとつだった。
【子供達に嫌われたくない】
私の動機っていつもこれだった。
子供のことなんて考えてなどなかった。
無意識の【子供から嫌われたくない】
全ては動機
その様な動機なのだから、子供達だって違和感だらけだっただろうと思う。
さらには私の深刻な愛情飢餓感。
子供達にさえ、求めていた…!
【自己犠牲的な役割を自ら選んで、恩を売る】
(無理してでも、してあげるからお母さんの事好きでいてね…。)
って。
もちろん、無意識。
長男は春から大学生になる。父と話し合いをして決めた。
奨学金の申請から何から、ひとりでやっていた。
少しでも長男に仕送りしてあげたい!!
もうひとつやふたつ、仕事してでも!って思った。
…だけど、釈然としないものもあった。
どうしてそこまでする?
なんだか自己犠牲的じゃない?
頑張って欲しいの?
応援?
親なんだから?
なんにもしてあげれなかった罪悪感から?
いい母だと思われたい。
長男に嫌われたくない。
それどころか…!!
子供にまで愛を求めていた、
これをしてあげるから、私を愛してねって。
幼少期から
【無条件の愛】はもらえなかった。
何かをしなければ…。
働かなければ…。
親に気に入られなければ…。
自己犠牲的に生きて、恩を売る。
ずっとそうやって生きて来ていた…。
こうして子供にさえ、愛を求めていた。
無条件であたえるどころか、求めていたなんて!!
よい子で生きて来た代償は計り知れない…。
次男は色んなことを教えてくれる。
私が、自分では気づけないことを、いつも言ってくれる。
なんでも『うん』って言っていること。
聞いた事と違うことを答えていると言うこと。
自分の道理を子供に押し付けていること。所有しているということ。
自分では気づけないことっていっぱいある。
いつも教えてくれる次男に、感謝している。