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ストライド(1/5)【連作短編】

魅力的な二人組だった。

会社で電話を受けたのは、昨日の午後。

「藤崎ちゃんご指名で、保険の話を聞きたいって人がいるよ」と言われた時は驚いた。

そこに日永先輩の名前が出たときは、もっと驚くことになったけど。

「日永から、生命保険のことならフジサキに聞けと紹介されたんです」

電話口の男は話す。

「はあ……大変恐縮です」私は戸惑いを隠しきれていなかったかもしれない。

日永先輩は同じ部署の先輩で、入社当初からとてもよくしてもらった人だった。仕事を一からフォローしてもらったし、それなりの付き合いもあったけど、先輩が2年前に突然退職してから、特に連絡を取るような間柄ではなかったからだ。

「ぜひ、直接お会いしたく、明日この場所ではいかがでしょうか」

そうして私はいぶかしく思いながらも、保険の資料を携えて、指定された喫茶店に足を運んだのだった。

どんな人だろう?新規の顧客はいつも緊張する。直接会って話すのはよい機会でもあるが、相手がクレーム目的であることも多かった。

着いたのは昔ながらの喫茶店。戸を開けるとドアベルが鳴った。

店内は5席とこじんまりとしている。客は1組。男二人組だった。

二人組?

「フジサキさん?」そのうちの一人が私に気付き、声をかけた。

私はとっさに会釈し、視線を落としてテーブルに近づく。スーツのポケットから名刺を取り出して顔を上げると、私は思わず手を止めた。

うわあ、かっこいー。

すらりとした手を差し出してきた男は、少し気だるそうな、愛嬌のある目でまっすく私を見ている。

「ソウマです」

そう言ってかしげた首の動きに合わせて、茶味がかった髪がさらりとなびく。

「おい、お前は静かにしてろ」

隣に座るもう一人が口を開く。低くて、やわらかい余韻が残る声に聞き覚えがある。電話をかけてきたのはこの人だ。

「シイナです。今日はわざわざありがとう」

そう言って立ち上がった彼はとても背が高く、スタイルがいい。私は握手を交わした後、二人の向かいの席に着いた。

まるで、伊坂幸太郎の小説に出てくる殺し屋たちみたい。シャープでクールな雰囲気をまとう二人を見て、私は昨日読んだ本をぼんやりと思い出していた。

早速資料を取り出そうと、かばんに手をかけると、それを察したのか、シイナが口を開いた。

「フジサキさん、じつは今日は保険の話を伺いに来たわけではないんです」

「え?」

「日永について、知っていることを教えてくれませんか?」

私は頭の中にたくさんの疑問符が浮かんだ。

「あの、日永さんのお知り合いではないのですか?」

「ええ、大学時代の友人です」

「ならなぜ……?」

「最近連絡が取れなくなりました」

「え?」

「正確にはここ2年」

日永先輩が会社を辞めたタイミングだ。シイナはまるで私の心を読んだように、相づちを打つ。

「フジサキさんは仕事で彼にとても近かったと聞きまして」

「はあ、直属の後輩でしたから……」

「何か変わったところ、ありませんでしたか?」

変わったところ……?ぼんやりとした記憶を必死に呼び起こそうとしたけれど、それは地図もなく世界中の海から名も無い島を見つけるような、あてがない作業だった。

「日永さんって、どういう人だったんですか?」

そこでソウマが口を開いた。手元には、丸くくり抜かれたメロンがどっさりのった、大きなパフェ。

「お前……なんていうものを食ってるんだよ」シイナが呆れて言う。

「いいじゃないですか。頭を使うのに、糖分必須ですよ」

「お前はただついてきただけだろうが」

かみつくように言うシイナと、それをまるで気にせずパフェを口に運ぶソウマの様子がおかしくて、私は思わずクスリと笑った。

二人は不思議そうに私の方へ視線を送る。

「あ、すみません……」

ソウマはしたり顔でシイナに視線を戻した。

「ほら、笑ってくれた」

シイナは何も言わず、背もたれにゆっくりと重心を移した。

「お二人はどういうご関係なんですか?」私はたずねる。

「俺は先輩の後輩です」ソウマは決め顔でそう言った。

先輩の後輩。私はその堂々たる、圧倒的明白さと、絶望的な情報量の少なさにたじろぐ。

「いや、何の答えにもなってない。こいつは僕の仕事の後輩です。日永と面識はありません」

シイナが顔をしかめて説明を加えた。

「あ、なるほど」

「そうそう、日永さんとフジサキさんみたいなものです」ソウマはにっこりとほほえんで、話を戻した。

私は何も言わずにうなずいた。

「日永さんは、優しくて、面倒見がいい、尊敬できる先輩でした」

「頼りがいのある人だったんですね」ソウマが相づちを打つ。

「ええ、とっても。私たち生命保険の営業をする部署で一緒に働いていたのですが、先輩の成績は、全社で指折りでした」

「優秀ですね」

「はい、だから、退職すると聞いたときは、私も周りもずいぶん驚きました」

「そんな素振りはなかったんですね?」

「そうですね……仕事は確かにきついです。ノルマもあるし。私は何度も心が折れそうになってます」

私は力なく笑ったあと、仮にも新規顧客の前で言うことではなかったな、と反省した。歳が近く見えるせいか、ユーモラスな話ぶりのせいか、ソウマと話していると、友達と会話しているような気分になる。

「ふふ。でも、辞めてない。フジサキさんは」ソウマはコーヒーを口に運びながら言った。涼しげな口元に、ブラックコーヒーがよく似合う。

「はい、やっぱり日永さんのフォローが大きかったと思います。いつも声をかけてくれたり、引っ込み思案な私を職場の人とつないでくれたり」

「気配り上手」

「そうです。私だけでなくて、職場のみんなから慕われていたし、愛されキャラでした。それに」

「それに?」

「なんていうか、日永さんと話していると、今自分がやっていることが、とても素晴らしいことのように感じられたんです」

ソウマは促すように視線を向けた。

「日永さんは、相手や物事のささいな変化や特徴を見つけて話し、誰かをその気にさせるのがとても上手でした」

「たとえば?」

「そうですね……たとえば、保険営業って、お客さまに会ったらまずはじめに何をすると思いますか?」

「うーん、資料を出して説明するとか?」

「そうですよね。でも日永さんは、もしソウマさんと今話したら、まず、あなたの指先の絆創膏について、心配して、なぜケガをしたのか気にかけると思います」

ソウマは視線だけ自分の手元、右手人差し指の絆創膏に移す。「へえ」

「相手に質問して、ひたすら喋らせるんです。仕事の話や身なり、スマホのロック画面の画像、庭に植わっている花の名前、メールアドレス名の由来、指先に巻いた絆創膏の理由まで。とにかくフックをつくるのが上手いんです」

「なるほど」

「しかもそれを2、3回の訪問で繰り返す」

「すごい手間」

「そうです。でもそこまですると、相手が逆に聞いてくれるんです。何話しに来たの?って。すると本当に面白いように契約が取れるんです。相手も喜んじゃって」

「楽しいですね」

「はい。なんだか日永さんと仕事してると、自分がすごい良いことしてるって思えました」

そこで私は頼んだアイスコーヒーに口をつけた。ソウマは何か考えるような表情のあと、ぼそりと何かをつぶやいた。

良いことね、そう言った気がした。

「その日永さんは、完全無欠のヒーローだった……ということですね?」

ソウマにそう聞かれ、私は考えた。

シイナが背もたれから体を離してたずねた。

「何か日永に気にかかるところが?」

「いえ、私の気のせいかもしれないんですけど」

「聞かせてください」

「黒烏龍茶ってあるじゃないですか」

「ああ、脂肪の吸収を抑える」

「はい、一時期、あの飲み物が異常なほど職場で流行ったんです」

「へ?」シイナは少し拍子抜けした顔をする。

「というのは、日永さんが激ハマりしてたんですよ。みんなにすすめるんです。すごい熱量で」

「……」

「昼休憩後とか、いろんな人に聞いて回るんです。黒ウーロン飲んだか!?って。すごい元気に。私は最初冗談かと思って聞き流してたんですけど」

「はまったんですか?」

「うーん、というより、断れなくなってきた……という感じでしょうか。あまりに聞かれすぎて、飲んじゃった方が楽だって、当時は思ったというか……。でも飲んでいるうちに、なんか、こうするべきだって、いつの間にか思っちゃうんです」

「え?うざくないですか?」ソウマが眉間にしわを寄せる。

「うふふ、確かに、少し」私は彼のあっけらかんとした様子を見て、笑いながら答える。

「でも、悪気はないってわかるんです。強引だけど」

「あいつらしいな」シイナは言った。

「でも、ちょっと狂気じみてないですか?それが職場みんなって」

ソウマは笑いながら横にいるシイナに顔を向けた。シイナは表情を変えずに腕を組む。店内には相変わらず私たちしかいない。

狂気じみてる……

「今、一つ思い出したことがあって」

シイナはパッと顔を上げた。

「何ですか?」

私は言うべきか迷い、言葉に詰まる。

しかし、シイナの切実な目を見て、思い切って口を開いた。

「日永さんが退職したあと、ロッカーを清掃しようとしたんです。私たち、荷物を入れておくような場所が、一人1カ所与えられていて」

「なるほど」

「扉を開けたら、ごみでみっちり、ロッカーの中が埋まってたんです」

二人は手を止め、何も言わなかった。

「ちょっとした書類とか、替えの衣類とか、何かでもらった袋菓子とか……とにかくびっしり、入ってて。私、なんだか見ちゃいけなかったんじゃないかと思って、あわてて片付けました」

この光景を、誰にも見られないように。

ソウマは机に肘をつき、シイナの顔をのぞき込んだ。

「先輩の中で、日永さんのイメージ変わりました?」

シイナはその質問には答えなかった。代わりに私にたずねる。

「日永は、なぜ会社を辞めたのでしょうか」

「わかりません。ただ、これも不思議なんですけど、生まれた時から決まってたんだって、言ってました」

「辞める時に?」

「はい」

「変なやつ」

「静かにしろ、ソウマ」

ソウマは肩をすくめた。私は苦笑して、続けた。

「そのためには、何か、何かを広げなきゃいけないって……」

「何を広げるんだ?世界?視野?」ソウマは黙らない。

「うーん、何か聞きなれない言葉で……」

「ストライド」

シイナは静かに言った。私とソウマは顔を見合わせて、シイナに向き直った。

「そう、確かそれです!」

「ストライドを広げる?なんで知ってるんですか?先輩」

「あいつの好きな言葉だった」

「ふーん」ソウマはほとんど冷笑に近い表情で言う。

「先輩も刷り込まれちゃってるんだ、日永さんに」

シイナはソウマを睨むように一瞥すると、スッと立ち上がった。店内に椅子の脚がこすれる音が響いた。

「フジサキさん、貴重なお話をありがとうございました」

「もう、大丈夫ですか?」

「ええ、あとはこちらで」

会計はシイナが済ませた。店の外に出て、私は頭を下げる。

「日永さんに、会えるといいですね」

「ありがとう。何かわかったら、フジサキさんにもお伝えしますね」

シイナはほほえんで言った。意志の強そうな瞳が私を見据える。もう次のことを考え始めている表情にも見えた。

私はふと手元のかばんを思い出す。

「あ」

何か話していた二人は、会話をやめてこちらに顔を向けた。

「生命保険は、お探しではないですよね?」

私は形だけでも、自分の使命を果たしてみた。

二人は顔を見合わせて、吹き出した。

「そうだそうだ。でも、やめておいた方がよいと思うよ」

ソウマがおかしそうに言った。やめておいた方がよい?

そう言うと、二人は背を向け、歩き始めた。その後ろ姿を見ながら、私は急に、言いようのない悲しみに襲われて目を伏せた。

日永さんは、なぜロッカーを片付けていかなかったのだろう。

彼の抱えていたものは、なんだったのだろう。

「あの……!」

しかし、顔を上げた時、二人の姿はもうすでに消えていた。あまりにも一瞬の出来事で、今起きたことは全て夢だったのではないか、そう思うほどだった。

私はこの行く宛のない感情を吐き出すように、小さくため息をついた。

何してるのかな、日永さん。

脇を走る道路を絶え間なく行き交う車を眺めながら、私は思い出したように歩き出す。

またいつか、会えるといいな。私は不意にそんなことを考え、宙を見上げた。

無表情な高層ビル群に覆われた空には、私の願いを聞いてくれる神様を見つけられそうにもなかった。



▶︎ストライド(2/5)へ続く

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