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ブルーアワー【小説】#シロクマ文芸部 #夕焼けは

「夕焼けは、僕達にとって、見逃してはいけない合図のようなものだったんだよ」

祖父は、いつも穏やかに話してくれた。

「合図?」

「そう」祖父は微笑んだ。そして続ける。

「日が沈んで、世界が青色に染まる“ブルーアワー”の間に、誰かが太陽のネジを巻き直す必要があったんだ。また次の日も、太陽がきちんと昇るように」

私は目を見開く。「そうなの?」

祖父は何も言わずに頷いた。私は身を乗り出してたずねる。

「でも、天気が悪いと、夕焼けは見えないよ?」

「そうだね。だから、世界中の“ネジ巻き担当”でシフトを組んで、代わりばんこで行うんだ。今日は誰が担当か、夕焼けの光が届けてくれる。何しろ連絡が直前だろう?晴れた日は気が気じゃなかったさ」

“太陽のネジを巻く人”がシフト制だなんて。なんだかおかしくて、私はケタケタ笑ったのを覚えている。

祖父は私の笑顔を見て、目を細めた。

「ネジ巻き担当は二人一組でなくてはならない。厳しくて、孤独な仕事だからね。おじいちゃんとミズキがこのあたりの担当だったから、アイツとはずいぶん色んな冒険をしたもんだ」

私たちは緩やかな坂道をゆったりと上っていた。夏の暑い日差しが容赦なく照りつけ、私は祖父の体調を気にしていた。

「どんな冒険をしたの?」私は足元を見ながらたずねた。

「たとえば、月から何者かが星の雨を降らせて、ネジを巻くのを邪魔しようとしたこともあった」

「ひどい!!」憤慨する私を見て、祖父は愉快そうに笑う。

「そうだね。でもそいつもきっと、この美しい地球をなんとか手に入れたいと思ったんだろう。仕方のないことだったんだろうねえ」

のんびり話す祖父。7歳だった私は、なんだか腑に落ちなくて、歩きながら考え込んでしまった。

祖父は汗で張り付いた私の前髪を整えて、持ってきた麦わら帽子をかぶせた。ほっとする麦の香りが、私の鼻をかすめる。

「ゆうかは聞いてくれるかな?ブルーアワーと僕たちの物語を」

私は帽子のつばをぐっと持ち上げ、目を輝かせた。

・・・

夕焼けからの合図を受け取った僕とミズキは、走っていた。夕日が落ち、濃い青色に世界が溶けていく。ブルーアワーだ。

「セト、おせーぞ!」

ミズキはいつも僕の一歩先を走っていた。スラリとした足が軽やかに地面を蹴る。

「ばか!そっちじゃない!」

見当違いの方向へ突進するミズキに僕は叫ぶ。アイツは雲を読むのが大の苦手だったんだ。

僕は雲が流れる方角……太陽のネジがある方へと全力で走る。ブルーアワーは日本では約30分。もう時間がない。

「待たせたな」

ミズキは自信満々の面持ちで追いついてきた。

「今の場面でよくそんな態度がとれるな……」

「主役は遅れて登場するものだ」

何か言い返そうとしたけれど、頭が痛くなってやめた。雲が指す海沿いの倉庫はもう目の前だ。

「ここだ」

僕たちは倉庫の入り口で足を止めた。黒い鉄の扉に手をかける。中は暗くて辺りがよく見えないが、このどこかにネジがあるはずだ。

僕たちが中に足を踏み入れた瞬間だった。屋根を強烈に叩く雨音で、倉庫が満たされた。

「この音は……!」僕は急いで外を見る。つい先ほどの景色から一転し、視界が遮られるほどの量の雨が降り注いでいた。

「星の雨だ」ミズキは息を呑む。

地球に馴染むことがない星の雨は、地表に吸い込まれない。あっという間に地面を覆っていく。

「沈没する前に急いでネジを探せ!」僕は叫んだ。

すぐに倉庫には星の雨が流れ込んできて、足元をすくわれる。

「そう言われても全然見つからないぞ」ミズキがわたわたと、積まれた段ボールの中身を確認する。

「この間はおもちゃのネジだった!なんでも巻けるものは巻くんだ!」

僕は棚によじ登り、上から探す。窓から外の様子がふと見えた瞬間、絶望的な光景が目に飛び込んできた。

観光連絡船が、急激に上がった水位に呑まれ、いつ転覆してもおかしくないほど傾きながら、激しい波間を漂っている。中には人影が見えた。

僕は恐怖で足が震えた。助けなければ死んでしまう!

しかしもう残された時間はわずかだ。ブルーアワーは続いているのか?ネジを巻かなければ……どうしよう、どうしよう!!

「おい、どうした!?」

園芸用の水まきホースのリールを巻いていたミズキが僕の異変に気づく。

「船が転覆しかけている……中に人がいる!」

「なんだと!?」ミズキは出口へ走ったが、激しい音を立てて濁流が倉庫になだれ込んできた。

「うお!?」ミズキは流されつつ、倉庫の柱につかまり体勢を立て直した。

「大丈夫か!?」僕は棚を渡りついでミズキの元へ向かう。

「セト、見ろ。この柱、梯子がついてて上に行けるぞ」

ミズキは梯子を登り、僕がいる棚の上へと乗り移る。どうやら屋根裏にスペースがあるようだ。

ミズキは高い位置にあった窓を蹴破り、園芸用ホースを腰にくくる。反対の端を柱へ結んだ。

「セト、お前は上に登れ。ネジはきっと上だ。俺は外に出て人を助ける」

僕はとっさにミズキの腕をつかんだ。

ミズキはつかまれた腕に目をやった後、まっすぐ僕を見据えて言った。

「俺たちはチームだ。どちらか一方が先に死ぬことは許されない。俺を信頼しろ」

何も言わず頷き、僕はミズキから手を離す。

「主役が死んだら、物語も終わっちゃうしな」

そう笑って、ミズキは濁流に迷わず飛び込み、姿を消した。

僕は梯子を登り、倉庫の屋根裏へと移動する。

「あった……!」

この倉庫には大きな掛け時計がついていて、時計の裏側がちょうど屋根裏に位置していたのだ。大きなネジがある。

僕はすぐさま手を伸ばす。ネジは大きくて固く、自分一人の力ではびくともしない。

僕は途方に暮れた。でも絶対に動かさなくてはならない。僕たちはチームだ。アイツが諦めないなら、僕が諦めるわけにはいかない。

僕は渾身の力を込めてネジを巻いた。ガリガリと何かが擦れる音を立てながら、ネジが動いた。

キンッと耳鳴りのような高い音が響いた後、濁流のおぞましい音がピタッと止んだ。

窓の外を急いで見ると、星の雨が引いていき、水底からミズキが苦しそうに顔を出したのが見えた。船は転覆していたが、乗客はミズキののばした園芸ホースにつかまり、海にそのまま呑まれてしまった人は一人もいなかった。

僕は地上に降り、仰向けに倒れていたミズキに手を差し伸べる。

「セト、おせーぞ」

僕の手を取り立ち上がりながら、ミズキは笑う。

夜の帳がおり、空には星が瞬いていた。輝く星を複雑な思いで眺めながら、「なんでも巻けって言ったけど、園芸ホースは違うだろ」と、僕は精一杯悪態をついた。

・・・

私は祖父からこの話を聞いた坂道を、今は一人で上っている。

私はてっきり祖父がつくったおとぎ話かと思っていた。この物語は大人になった今も不思議と心に残っていて、ことあるごとに私は祖父とミズキの冒険を思い出していた。

そして、発見してしまったのだ。仕事で手に取った文献に。かつて「螺子士ねじし」と呼ばれる存在がいたことを。今は地球環境が比較的穏やかになり、徐々にその姿を消していったことを。

私は坂を上りきり、かつて祖父とよく足を運んでいた墓の前に立つ。

水城ミズキ家」と書かれた墓標を見て、私は思わず胸が熱くなった。

夕焼けの光が私を包む。二人の冒険の話、もっと聞きたかったな。語られなかった物語に思いを馳せながら、私はゆっくりと坂を下っていく。



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