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厳格な義父

 結婚前、夫になることに決まった彼は、「ウチの父は、厳格だ。」と言った。私のイメージする厳格とは、めちゃくちゃ厳しくて頑固一徹、昭和のこわーい親父さん。
「わーどうしよう。」でも、お義父さんと結婚するわけじゃないし、大丈夫、と思いながらも、こわいなと少しだけブルーな気分だった。

 しかし、初めて会ったその日に、イメージは180度ガラリと変わった。とにかく、とてもとても優しいお義父さんだったのだ。
 待てよ、彼は確か“厳格”と言ったよね。でも、そうだ、彼は理系、完全理系男子、国語が苦手かも‥。ひょっとして“厳格”の意味、取り違えているのでは、と疑った。
 何を隠そう、私は、彼から一通の、後にも先にも唯一の手紙を受け取ったことがあるのだが、読んでいるうちに、あれれれれ。最初は手紙の様相を呈していたが、進むに連れ、完全なレポート形式に変わっていた。そんなわけで、もしや?と思い、厳格の意味を問いただすと、“真面目で曲がったことが嫌い”と言う。あ、そのくらいの感じ?なぁんだ。しかしまぁいずれにせよ、私が勝手に“厳格度合い”をアップ、怖いイメージを増幅させていただけだった、と一人小さく反省した。

 とにかく、義父は優しい。優しすぎて、申し訳なくなるほどだった。家族のわがままを全部受け止めて、いつだってニコニコ。そりゃあ、怒る時もあるだろう。しかも普段優しい人は怒ると恐いと言うし。でも、少なくとも私は義父が怒るところをこの目で見たとがない。義母と義妹、そして私と、姦しく様々な話題で話に大輪を咲かせていると、父はニコニコ笑いながら黙って、聞いていた。
 『優しい』と『真面目』を人の形にしたら、こうなるのかな、というくらいの人だった。
 趣味は、なんと言ってもゴルフ。あと、カラオケと詩吟、毎日のスーパー銭湯も。晩年には歩くのが一番と、散歩を欠かさなかった。冬場は雪道が歩きにくいので、わざわざ地下鉄に乗って『歩行空間』という名の地下道に散歩に出かけるほどだった。夫の言う厳格さはそう言うところに出ていたかもしれない。

 コロナ禍直前に、私は長男と共に義父を訪ねた。長男が「ジィちゃんと写真撮って。」と私にスマホを渡した。パシャリと写した、その息子のスマホに残った写真が、遺影となった。孫と並んだ良い顔のお爺さんの写真は、お爺さんのところだけ切り取られ、実家と、我が家に一枚ずつ飾られている。
 この長男が赤ちゃんの頃、私たちは九州で暮らしていた。両親を迎え、5人で熊本や、鹿児島を巡る旅をしたことがあった。遠く、佐多岬まで足を伸ばした時、義父は孫をおんぶして歩いた。とても楽しそうに。背中の子も、背の高い、がっしりしたお爺ちゃんのおんぶに満足そうだった。
 その義父が、今は小さな写真立てに収まって、でも、ずっと私たち家族を見守ってくれていると思うと、私も義父のように、人に優しく生きていかねばとつくづく思う。
 今日は義父の命日。今朝も写真に向かって挨拶しよう。お義父さんを見習い、にっこり微笑んで。

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