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飛行機に乗り込むと、私の席の隣には若いママと幼い姉弟が座っていた

 通路側の自分の席を見つけたら、お隣はキャッキャとテンション高めで絶好調の幼子2人と若いママだった。一瞬で息子2人を連れて帰省していた頃の自分と重なった。
 これ、結構大変なのよね、という気持ちが溢れ出て「ママさん、私、大丈夫ですからね。むか〜し、男の子2人連れてたので」と思わずニコニコ発言していた。若いママは有難うございますと丁寧に頭を下げた。
 そしてママがその子たちを、

 なっちゃん、しゅんちゃん

と呼ぶのを耳にして、私の記憶旅行が始まった。30年前にタイムスリップ。


 7月に生まれた長男を連れて、9月に横浜から北九州へ転勤した。のちに“マグロ”と呼ばれる母が札幌から駆けつけ、横浜の家の掃除から北九州の入居まで、ずっと手伝ってくれた。『手伝ってくれた』は、あまりにも語弊がある。8割型主体となって作業してくれたのだ。

 その母も帰り、いよいよ生後2ヶ月の長男をベビーカーに乗せ、私は付近を行脚し始めた。知り合いが一人もいない街にやって来たからには、自力でなんとかしなければならない。幸い社宅では、幼稚園児や小学生のいる先輩方が、赤ちゃん連れの我々新米を手厚く扱ってくださった。

 だが、私は長男のために、同じくらいの月齢の赤ちゃん友だちを欲していた。横浜の母親学級で知り合った“同期”たちと密になり、生まれてきたら一緒に遊ぼうねと友達作りに励み、楽しみにしていたのに‥あっという間に全て失った。現実は厳しい。

 しかし、私は痩せても枯れても元転勤族の娘。今は、不本意ながら現役の転勤族。長男のためには、こんなことで、へこたれていられない。

 公園で赤ちゃん連れに出会ったら積極的に話しかけ、散歩の途中、道行くベビーカーに声をかけた。少しずつ友達は出来たが、この人だ!というような決定的な出会いはなかった。

 一年半ほど経ったある日、社宅に一番近い公園で長男と遊んでいると、小さな女の子の手を引き、大きな赤ちゃんを抱っこした小柄な、そしてとってもにこやかなママに遭遇した。自然と話し始め、女の子と長男の生年月日がとても近いことがわかった。
 その初対面のママが「良かったら、今からウチ、きぃへん?」と、柔らかな関西言葉でそう言って、公園の目の前にある一軒家を指差した。そこが引越して来て間もない社宅、彼女もまた転勤族だったのだ。

 その日を境に、毎日のように一緒に遊んだ。公園で、お互いの家で。そして、友達の輪は私一人で躍起になっていた時より、格段に早く広がり、不思議と転勤族が集まった。私にも長男にも友だちがうんと増えた。
 子どもを抱えての悩みも辛さも、皆に会えば全部吹き飛ぶ。毎日会うのが楽しみで、もう、まるで生き甲斐。

 その後、次男が生まれ、その頃から、仲間が順々に転出していった。転勤族の宿命だ、我々も次男が2歳になる直前に東京へ引っ越した。

 期間限定ではあったが、たぶんあの頃感じていた孤独を互いに救い合った大切な同志。その筆頭は、最初に公園で出会ったにこやかなママと、その2人の子どもたちであることは間違いない。姉弟の名は、

 なっちゃん、しゅんちゃん。

 隣に座る小さな2人のお陰で、久しぶりにあの頃を思い出している。

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