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横浜、ニュースパークの新聞少年

 横浜市中区にある、ニュースパーク〈日本新聞博物館〉を訪問した。

 今日、ここを訪れたのは、父のたっての希望による。父は新聞記者として長年新聞制作に携わってきた。しかし、昨今の新聞離れは勢いを増し、その存続を危惧している1人でもある。

 今回は、例えば、大ニュース記事を縮小版にしたものや、実物大の複製など、何かしら入手出来ないかとも考えていた。
 父は既に多くの資料を収集している。書庫には、数多くの新聞や号外が所蔵されており、中には複製もあるが、もちろん実物もある。驚くような歴史的な資料もあって、なかなか圧巻だ。しかしそれでも、まだ何か新しく資料を求めている90歳は、いったい何を目論んでいるのか、真相はわからない。物足りないだけなのか、あるいは、何かを探しているのか。

 私の目に映る博物館は、子どもたちに興味を持ってもらいたい、知ってもらいたい、そんな思いがあちこちに散りばめられている、そんな印象だ。
 中学生が15名ほど、学習室で説明を受けていた。人数からして、全校生徒でも、一クラス全員でもなさそうだ。「新聞部かな?」と、父は嬉しそうだ。

 思えば、父の新聞記者への第一歩は、高校新聞コンクールでの優勝から始まった。
 新聞部、高校3年、秋。
 全く違う道に進んでもおかしくない境遇の中、志望の本線である新聞記者を一直線に目指せたのは、おそらくこの優勝という二文字に後押しされたのだろうと推察される。

 館内には、全国の地方紙が壁一面を埋め尽くして飾られていた。椅子から眺めながら、父は戦時中の新聞統制について話し始めた。それまで何紙もあった新聞社が、国による情報統制のため『一県一紙』にされた。言論の自由が奪われた瞬間だったのではないか。
 当時の新聞のあり方、重要度、そして新聞記者としての足掻きや戦い、そういった事をもっと今の人に知らせたいという思いもあるだろう。

 博物館のすぐ隣のカフェで昼食をとった。表通りが見えるガラス張りの店は、お昼前なのでまだ比較的すいていた。目の前の街並みは歴史を感じさせる重厚な建物に、車道、街路樹、歩道、それらが絶妙なバランスで配置されている。
 花壇は柵で囲われているが、ただの柵ではない。腰をかけることができる形状だ。そのちょっとした配慮、植えられた花のセンスも良い。横浜市の街づくりにはどんな素敵な人が関わっているのかと、想像してしまう。
 ところで、なぜここに新聞博物館があるのか。ここは新聞発祥の地。新しいものを取り入れる柔軟な感性は、今も横浜を支える人の中に脈々と受け継がれているような気がした。

 建物の外に出ると、『新聞少年の像』が私たちを待っていた。父は、どこか幼さを残すこの男の子の像を写真に収め、新聞配達をしていた少年時代の自分と重ねているのではないかと私は思った。それから、名残惜しそうに車に乗り込み、帰路についた。

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