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つばさ

 母だけが台所に立っている。テレビの前、上座に父、そして兄と私。恒例の歌合戦、今年一年の締めくくりだ。一年の労をねぎらう日、もうテーブルの上はご馳走で溢れんばかりだと言うのに、まだ母ひとり台所。結局、終始台所だ。
 大晦日の夜、毎年繰り広げられる、我が家の茶の間の光景だ。幼い頃は何も感じていなかったはずだが、ハッキリとこれが嫌だと確信するまでに何年も要さなかったように思う。

 昭和一桁「男子厨房に入らず」を地でいく父だから、そのことについてどうこう言うつもりはない。ただ漠然と自分の未来に重ねてみる時、女だからと、性別だけで役目を押し付けられるなんて、真っ平ゴメンだと思っていた。だから、何が何でも私は台所に立たない。ここで立ってしまったら、何も変わらない気がするから。幼い私のささやかな抵抗だった。
 もし私が父や兄に意見できたとして、口の立つ兄に何を言い返されるかわからない。それもたまったものではない。 

 しかし、この時、『敵』は父兄ではなかった。実のところ最大の『敵』は母だった。

 母は家事を一手に引き受け、家庭のために甲斐甲斐しく働くことに、何の疑問も持っていないだろうし、むしろこれこそが正しき道と考えているから、私の態度に不満を持っていたに違いない。そしてそれは年々大きくなっていった。

 母の口から、「女の子なんだからこれくらいできて当たり前」とか、「あんたも結婚したら旦那さんに尽くして」とか、日々聞かされるのはうんざりだった。もっと言うと、勉強はもうしなくて良い、と言われている気がして、怖かった。

 私は勉強が好きだ。成績も悪い方ではなかった。しかし、何故私は勉強をするのか。それは、「女だから」という圧力と戦うため学力や知識で武装したい、力をつけたいとの無意識の行動だったのかも知れない。そうだ「つばさ」が欲しかったのかもしれない。

 四月から始まったNHKの朝の連続テレビ小説『虎に翼』は日本初の女性弁護士、女性判事となった、三淵嘉子氏がモデルだ。まだ始まって間もないが、初めの数回を観ただけで、「これだ」と感じた。
 一九一四年生まれの三淵さんが「はて?」と疑問に感じたことを、その半世紀後に生まれた私が同感し悩むということは、日本における女性の地位や社会進出は、この五十年の間に一見進んだように見えて、実際はさほど進んでいなかったのだ。もちろん、首都東京と地方の田舎町という違いはあったにせよだ。

 だが、その理不尽さに対する私の思いは、いつの間にか薄らいでいった。流れに負けた。いや自ら流れていった。仕事を辞め、結婚し出産した。そのまま子育てに没入、専業主婦になった。もちろん、それはそれで素晴らしい経験だったし、悪くない思い出は山ほどある。
 しかし、あの時、あの幼い時の気持ちのままに、何故もっともっと足掻かなかったのか、何故突き進まなかったのか。要は、凡人たる私は、中途半端だったわけで、そんな自分が情けなく、今となっては取り返しはつかない。

 母はその後、私が十歳になる頃、和装講師の資格を取得した。実技だけでなく筆記試験もあったと思う。そして長く、自宅に着物着付け教室を構え、また、結婚式、成人式、卒業式と着付けの仕事を引き受けた。 
 母は主婦として家事を完璧にこなしながら、手に職をつけた形となった。そういう姿を私にみせた。それはある意味、母が理想とする女性像だったのではないだろうか。

 今年、私は還暦を迎える。改めてスタート地点に立ちたいとの思いもある。今から何ができるか、試しに何かを学んでみようかと模索中だ。
 少なくとも、常に探究心、そして独立心を持ち、例えば家族に対しても互いに対等な立場で支え合える人間でいたいし、他の誰かの応援者になりたいと思っている。

 私の中のガラスの天井を毎日毎日叩き続けて、いつか綺麗になくなるように、一生懸命を忘れず、そして正直に。六十歳の誓い。

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