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我々はそれをハンガー事件と呼ぶ

 女子大のクラスメイト8人、いつも群れて、キャピキャピして、何だかハッピーだった。
 学業とバイト、音楽とテニス。海へドライブ、どうでもいい話。大人から見たら、何故そんなことを?と思うようなことに全力だったし、大切にしていた。

 まだ肌寒い春先のこと。いつもより、ずっとお洒落なバーで女子会を開催した。初めてのその店はモノトーンの内装で落ち着いた雰囲気。店員さんもカッコ良い人ばかりだ。料理も特別な感じで、美味しいし、楽しいし、もうウキウキが止まるはずもない。

 仲間の一人、中心人物のY子は、ダジャレをこよなく愛する愉快な子。おそらく私の周りで、最も学業にバイトに充実の日々を送っていた。ほとんどの学生が一つだけ選ぶゼミを幾つも履修し『歩くゼミ』の異名を取った。レポート提出や試験期間には、過密多忙女子となる。

 そんなY子の言動は、仲間を大いに楽しませるだけでなく、驚かせる。そしてそれが遥かに我々の次元を超えているという意味で、Y子は『4次元』の世界を生きる女の子、更に『5次元』へと真しやかにレベルアップした。そして彼女を囲んで“友の会”が結成されたのだ。

 前置きが長くなったが、そう、その日、我々友の会会員は、かなり頑張ってお洒落して、ひと時を楽しんでいた。まだまだひよッ子の我々が思いっきり背伸びをして大人になったつもりで、あるいは変身して。

 だがしかし、ひょんなことから、あれよあれよという間に‥。


 お店の人が、済んだお皿を下げようと手を伸ばした時だった。不意にY子がそれを制した。そして、「それ、まだ食べますので」と素敵にきっぱり言ったのだ。どう見てもお皿にはマンゴーの皮しか残っていない。えっ、Y子、それ食べるの?わなわなと周辺の空気が震える。一触即 “笑” 状態の私たち。

 それだけなら良かった。

 Y子の後ろで、カタンと音がしたような気がした。背もたれとY子の間に何故かハンガーがある。「何だろう、このハンガー?」きょとんとするY子。もっときょとんとする残り7人。

 すかさず我々はY子に対し、ここに来る前どこでどうしていたのか尋問した。Y子はバイトから真っ直ぐここに来たこと、バイト先でこれと同じハンガーにコートをかけていたことを自白した。

 なるほど、真相は掴めた。つまり、Y子はバイト先を出る時、ハンガーごとコートを着てしまい、そのハンガーを背中の辺りに引っ掛けたまま、このオシャレ空間でカッコつけていた事になる。

 一瞬の沈黙、そして大爆笑。

 箸が転んでもおかしい年頃だったようで、堪えきれずにギャハハと目に涙まで浮かべ、もはや今、自分たちがどこにいるかなどすっかり忘れて。
 もう、Y子ったらぁ〜


 今、もし、同じ出来事が起きたら、こんなにも軽やかに屈託無く、よじれるほど笑えるだろうか?

 みんなすっかり大人になって、今年還暦。ちょっと遠めに若き日の写真を見つめるのは、若さが眩しいからじゃない、老眼なのよ!羨望の眼差しなんかじゃない!
 そうだ、そうだ!と叫ぶ仲間達の声が聞こえてくるようだ。

 軽やかでなくてもいい。会の名に恥じぬよう、今後も異次元の笑いを求めていこうではないか。

 遥か40年前の愛すべき出来事。我々はそれをハンガー事件と呼ぶ。

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