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お転婆の仕出かすこと〈第二弾〉どこまでも走れ!今日はサイクリング
毎日の生活に欠かせない自転車。私の自転車歴は55年ほどになる。一時、随分クルマに頼った時期もあったけれど、近場なら自転車に適うものはない。
初めての自転車は補助輪付きだった。しかしお転婆な私は直ぐにひょいと乗りこなし、補助輪はあっという間に“飾り”となった。20インチの赤い自転車。
小学3年の頃、家族でサイクリングに行った思い出がある。確か数名のグループで湖を目指した。
何度も言うが、私はお転婆。家族の先頭を切り、風を切り、疾走した。少し大きめのレンタサイクルは、いつもの自分の自転車よりスピードが出るサイクリング車だ。
ぐんぐんぐんぐん、前方に見える自転車を目標に。交通量はさほど多くはないが、車が来たら気をつけて。
何の不安もなく、晴れやかに快走していた。同じグループのお兄さんの後ろ姿を追いかけて行くのだ。
しばらくすると後方から、「すみませんーん、すみませーん、○○グループの参加者ですよね?」と呼び止められた。何のことやらわからなかったが、ブレーキをかけ、振り向いた。キョトンとしながら「ハイ」と答えた。後方から来た知らないお兄さんは明らかに私を呼び止めていた。
どうやら私、左折すべき所を通過して、全く無関係のお兄さんの後をひたすらに追いかけていたようだった。
やだ‥
塩らしくくるりと方向転換し、今度こそ本物の同じグループのお兄さんの後ろにくっ付いて、目指す湖へ辿り着いた。
両親はお兄さんへ頭を下げて感謝の言葉。
辛うじて遭難せず、無事故で親元へ帰還した私は、とてもラッキーだったとしか言いようがない。だいたい一番年下のくせに、しかも見知らぬ土地、地図も持たず、なぜ先頭で突き進む?‥反省してます。
5年生の頃にはクラスメイトと行けるところまで行こう!とペダルを漕いだ。今思えば、往復20数キロの道のり、旭川市に住んでいた頃だ。小学校で集合、旭川空港まで。子どもにしてみたらかなりの距離だったが、そんな冒険が大好きだった。
さて3年ほど前、既にクルマを所持しない札幌の実家で、私の『足』を確保すべく、自転車を一台購入した。アシスト無しの普通の自転車。
北海道の場合、体感として11月から4月は自転車は使えない。もちろん雪道は危険だし、雪がなくてもその時期は風を切ると寒くて凍える。しかし、半年間だけでも自転車があるととても助かるのだ。買い出しの重い荷物も、1時間に1本しかないバスを逃してしまっても大丈夫。
しかし、思いもよらぬ展開が待ち受けていた。
当時85歳の母が「自転車なんて、私も乗れるよ」と言うのだ。
え〜、やめてちょうだいよ。まさか、私のいない時に乗ったりしないよね?
聞けば、母より3つ年上の先輩タマちゃんは、自転車を乗りこなしているらしい。それを聞いた母は、それなら私だって乗れるわよ、と豪語する。いや、タマちゃんは若い時からずーっと乗ってきたから今も乗れるわけで‥。
なんだか本当に乗ってしまいそうな勢いだ、人工関節の膝で。
改めて確信した。私のお転婆は、この元祖お転婆、母から譲り受けたものであることに間違いない。