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ドラえもん「もしもボックス」と、「エンタメの競技化」
もう1本、M-1(というかトム・ブラウンも)絡みで。
M-1ファーストラウンドでトム・ブラウンのネタに対して、海原ともこ姉さんが「トム・ブラウンに点数は要らないと思います」と評したのは、規格外の漫才を披露するトム・ブラウンと、それに点数をつけることになってしまった、ともこ姉さんはじめ、各審査員が巻き込まれた世界、すなわち、本来競技ではない「漫才」というエンタメが「競技化してしまった世界」を端的に表した名言だと思います。
このことで想起したのは、『ドラえもん』の「もしもボックス」で、のび太が「あやとりが大流行する世界」を実現する話です(「あやとり世界」てんとう虫コミックス第15巻 所収)。
のび太があやとりでチヤホヤされるのは勿論なのですが、世間では「プロあや」なるタイトルマッチが開催され、のび太のパパが帰宅するや否や、テレビにダッシュして、その「プロあや」のTV中継に夢中になるのです。…これって、、かぶりついて「M-1」見ている筆者と一緒やん。
「プロあや」はチャンピオンになると、なんと賞金30億円が獲得できるのです(これはM-1の1000万と桁が違いすぎますが)。そして、以下のような実況・解説とともに放送されるなど、実に本格的です。
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ここの最後のコマで、実況アナウンサーに、この表情でこのセリフを言わせるF先生。「この解説者、結局何も言えてないやん」と感じてるとも見て取れます。これは多分「したり顔で、結局どっちつかずなことしか言ってない解説者っているよね」という、F先生のちょっとしたアイロニーが込められたのであろう、絶妙な一コマだと思います(深読みし過ぎでしょうか)。とにかくジワジワくる大好きなくだりです。
M-1の審査員の方々や、解説しているプロの芸人さんなどは、決してこんな薄っすいコメントはしないんですけど、いざ優勝予想となったときに「令和ロマンが連覇か?ヤーレンズが阻止するか、あるいは…うーん、誰が優勝してもおかしくない!」と言わざるを得ないくらい実力が拮抗してると、この解説者とも相通じる点もあったりします。
しかし、本来「競技」でないはずの「あやとり」が、図らずも「競技化」するとこうなる、という世界が描かれているのは、「漫才」が「競技化」してしまう未来をも描かれているような気がしてしまいます。これもF先生のご慧眼、などと勝手に拡大解釈してしまいました。