雑記96〜「罪」を背負いながら生きるということ〜









 皆さん、おはようございます。







 今日から、

 また一週間が始まりますね、辛い方は、この様に考えて欲しいです、


 「世の中、生きていれば如何にかなる!」と、






 そう、

 人は皆、独りではないし、誰しも手を差し伸べてくれる人が何処かに居ます、


 なので安心して欲しい、






 私は、昨日、

 今日外来という事もあり、21時に寝たのですが、


 寝る直前まで、栗駒こまるの配信を観ておりました、





 彼女が述べていたのは、


 VTuberは精神との戦いなので、日々全力ということ、


 後は、「他者を否定しない」ようにしているとのことでした、




 この方、完成度高い、流石、あおぎりNo.1、









 さて、本題ですが、





 「罪」を背負いながら生きるということと言う事で、不穏なタイトルですが、


 まずは、太宰治の真相について触れたいと思います、





 この前、

 とある編著を読んでいて、そこに太宰治の真実が記されていたのですよ





 太宰治は、当時、吉祥寺駅前にあるコスモスという飲み屋に行っていたそうです、


 著者も行きつけだったとか、



 そこで、太宰の話を聞いていたらしいです、




 太宰家が、

 三鷹下連雀という事で、私、27歳の時、武蔵野市吉祥寺本町4丁目に住んでいたので、



 下連雀、懐かしなと思いながら読み進めておりました、





 著者も、

 太宰文学が好きだったらしいですが「人間失格」で失望し、


 「如是我聞」あたりでは匙を投げていて、ナルシズムもここまで来ては、


 お終いだと思ったらしいです、




 その後、

 著者は、とある方から、太宰について深く知ることになります、






 世間一般では、

 江の島袖ヶ浦での心中事件は、相手の女性が死に、太宰が助かったので、

 「自殺幇助」とされているが、




 実は、

 心中と見せ掛けて、太宰は相手を殺した、つまり『殺人事件』であったそうです、





 だが、

 彼の父親は当時、貴族院議員で、本人は帝国大学の学生と言う事もあり、


 将来に疵が付いてはと、周りから配慮され、




 相手の亭主に何百万円の慰藉料を払い不起訴となりました、


 もし、この一件が殺人事件になっていたのであれば、


 太宰のその後の文学活動はあり得なかったそうです、






 その後、


 著者は、再び太宰の作品を読み返して、彼の作品が理解できたそうです、そう、


 彼の文体に滲む恥、見栄、道化、そして過剰な表現などの発想の元は、




 殺人の『贖罪意識』にあると、




 そして、

 数多の読者は彼の繊細な文章を深読みして魅了されているのだと、




 太宰は、

 罪を上手く逃れた、自分への自己嫌悪から、パビナール中毒になった、


 そして、

 玉川水上での投身は『自身の贖罪の完成』であったのだと、






 ここまで、

 話して私が何を言いたいのか、それは、人は罪を背負って生きていくのはとても大変であるが、



 それもまた一つの人生であると言うこと、



 時には、

 太宰の様に芸術を生む可能性も有る、人生は何が起こるか分からないですが、


 全て一興と捉え、


 あまり自分を責めなくて良いと思います、




 私は、読んでいて、何か切ない気持ちになりましたね、






 私の話をすると、


 仕事上、多くの方の不幸を目の当たりにしたり、時には、

 「自分の判断」により不幸にさせてしまうことが多いです、




 なので、


 私は、自分は辛くても、どこまでも『強く生きなければ』いけないな、


 と思っております、それが宿命かなと、




 患者様が辛い思いをしている中で、私が弱くいる訳には行かないし、

 自分の行動に責任を持ちたいのです、





 私は、

 仕事に於いては、自分の『信念』に従って揺らぐことなく、相手を安心させることに努めたい、




 私も、

 これからどのような贖罪意識を持つか分からないので、

 気を引き締めていきたいなと思ったので、この記事をあげました、以上です。



 精神科医ましろ



 おまけ



 ゐぶき、育ちが良すぎる


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