自分は一体、何処にいるのか
※今回は、頭おかしい人になります(笑)、
この宇宙とは、一体何なのか、誕生する前には、一体、何があったのか、
私は、最近、この様な事を考えて止まない、
また、
自分とは一体、「何処」に存在しているのか、勿論、
太陽系の地球という惑星の、とある東洋の島国に存在するということは、事実ではあろうが、
所詮は、
人間の大脳により作り出された、推論によって辿り着いた答えに過ぎない、この知識とは正しいのか、
知識とは何なのだ、
また、この宇宙とは、その更に、全体をなす空間のどの辺りに存在しているのか、
そして、
誰が、何の為に、何時から何時まで存在し続けるのか、私は、その答えが知りたい、
時間という概念は、良く考えられているが、何故、時間は、過去、現在、未来と一方通行なのか、
皆が、観ている景色とは、果たして同じ色をなしているのか、人により違うのではないのか、
よく、
哲学は、「自分が何処に存在するのか」と言う、感覚に表れる対象を超えて、
その根源をとなる実在、実態について思索し、この世の真理を探求しようとする学問とされている、
また、
物事を何処まで考えられるかは、個人差があるであろうが、我々は、所詮、考える葦でしかない、
人は哲学を学ぶのではない、哲学をすることを学べるだけであり、、過去に形成された哲学とは、
哲学することがあったという歴史的形態にすぎず、絶対的なものとして固定されるものではない、
私たちは、大きな宇宙の中で、孤独で惨めな存在でしかなく、世の実態を捉えることは決してできない、
そして、
世界は意味も目的もなく、永遠に無意味、無目的を繰り返す円環運動、
そう、人が経験した苦悩や喜びは必ず、無へと回帰する、
だが、たとえ、万物が崩れ去り、業績や名誉も、忘却の渦へと呑み込まれるとしても、
我々は、神の理法、摂理を信じ、そして、己の運命を愛し、見つめ、
この世を超えた存在を目指さなければならない、
哲学の考え方には、一般に存在論、認識論、観念論、唯物論と複数の思考過程が存在する、
だが、どれもまだ、不完全である、
過去の哲学者の例を出すと、
プラトンは、絶えず変化する現実を捉える感覚ではなく、
不変の実態であるイデア界と唱え、そこから知識が成り立つと説いた、
また、
アリストテレスは、プラトンの思想を否定し、現実を、実際に経験することから知識が成り立つと説いた、
そして、
デカルトは、理性による推論によって確実な知識に到達できるとし、
ベーコンは経験から共通する法則を導き出すことにより知識が得られると説いた、
カントはそれらを総合し、独自の考えを編み出した、
人は、必ず死を迎える、そして、自分が何処に、世界が何処にあるかを理解することなく、消えていく、
私は、このことを考え始めてから、自分の人生に絶望し、
神に希望を託すしかない、そう思うようになった、
私は一体何処に存在しているのか、誰か教えてくれ。
(そろそろ、私も精神科受診した方がいいな)
精神科医ましろ
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