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雪と君と約束と。


寒い。非常に寒い。身長よりも大きな看板を掲げながら黒いダウンジャケットのポケットで片手の暖を取る師走。僕は道行く人にケーキの存在を知らしめるべく路上で、こうして身体の震えと戦っている。

いつもよりも混み合う雑踏の中、師走と言うだけあって人の往来が賑わっているように思う。
街行く男女は幸福そのものを顔に浮かべながら僕には目もくれずに通りすぎてゆく。

簡易的に組み立てられた机の上には3つのホールケーキが丁寧に並べられている。
苺と生クリームがふんだんに誂えられたホールケーキは1つで2千円する代物である。
25日が終わるまでに完売できなければ自腹で買取するという全く理解し難いルールのせいで徐々に気が焦っていく。
日付が変わるまで残り4時間。天気予報はこれから雪が降るなんて呑気な事を抜かしている。
元々こんなバイトをする予定はなかったのだがこんな日に暇であることが自分自身に後ろめたく思えた為に無理に参加してしまったのである。

○   ケーキ販売してます。いかがですかー。

○   、、、こんな時間から売れるわけないよな。

声を張る事にも慣れてからぽつりと独りごちた。

遠 ○○君?

○   あ、、遠藤さん

たまげた。以前友達協定を結んだ遠藤さんが目の前に居たのだから。あれから遠藤さんに片想いをしたまま数回お茶をご一緒したが絵に描いたように奥手な僕は当然、進展こそあるはずもなかった。いっそ、こちらから協定を取り下げて貴重な青春の1ページを穢れの無い綺麗な思い出として己の心にしまっておこうかとも思っていた矢先の出来事であったから動揺を隠せずにいた。

遠 やっぱり○○君だ!何してるの?

○   バイトしてる。ケーキ売るバイト。

遠 そうなんだ、苺のケーキ?

○   うん。ホールケーキだけど。

遠 一つ、買おっかな

○   え、本当に?

遠 うん、食べたかったし

○   そっか、、2千円です

遠 はい

○   全部売れるまで帰れないから助かるよ。

遠 大変そうだね

○   寒いからね

遠 、、良かったらさ

○   ん?

遠 終わるまで待っててもいい?

○   いや、寒いし

遠 うん

○   これから雪降るらしいから

遠 うん、、、

自分でも分かっている、これが千載一遇の希望の光であることは。
けれど肌に刺さる程の気温と売れ残りの箱がその希望を拒絶しているようにも思えた。
たかがクリスマスという365日のうちの1日に会えただけでも充分満足しているのだ。
欲張って仕舞えばきっと神様がお預けするのではないかと頭中を駆け巡る。
クリスチャンでもない僕は神様もキリスト様も信仰してはいないのだけれどクリスマスなんていう特別な日がきっとそうさせたのだろう。

○   でもあと10分だけ待っててほしい

遠 え?

○   ケーキ売れたら帰れるから。

遠 うん!


結局ケーキは1つしか売れなかったので残りの1つは財布の中のなけなしの2千円と交換した。バイト先の店長に連絡を済ませ今日は上がれることになった。
迅る気持ちをなんとか落ち着かせながら身支度を済ませる。
店から出てすぐに自身のロッカーに骨伝導のイヤホンを忘れたことに気がついたがそんなことは今日だけはどうでも良かった。

○   ごめん、遠藤さん。おまたせ。

遠 ううん、帰ろっか。

○   うん、帰ろう。

帰路の最中は特に何を話すわけでもなく居心地のよいこの空間をただ味わっていた。
大学は2週間前から冬季休業であった為にこのように遠藤さんと帰り道を共にするのは約1ヶ月ぶりとなる。
またしばらくこの愛しい時間と距離を置くことになるだろうから、遠藤さんをちらと覗き見て噛み締めた。

遠 ○○君、まだ時間ある?

○   うん

遠 お茶、飲んで行かない?

○   寒いから同じこと考えてたよ

遠 そっか、良かった

帰路の途中、寡黙なマスターが1人で切り盛りしている古風な喫茶店がある。ここのコーヒーは絶品でこの寒さこそが、より苦味を引きたててくれるのだ。
僕はコーヒー、彼女はホットのアールグレイを注文した。
マスターの好意で僕達のケーキを切り分けた物を出してくれた。こういう機転が効く人間になりたいとこの時ばかりは強く思った。


遠 ○○君がバイトしてるの初めて見たかも。

○   まさか会うなんて思いもしなかったよ。

遠 〇〇君の驚いた顔、面白かった。

○   恥ずかしいから忘れてよ。

遠 ケーキ1人で食べるの?

○   まあ、そうだね。

遠 食べ切れるかなあ。

○   全部食べ切ったらしばらくは甘いものはいいかな。

遠 〇〇君はクリスマス誰かといるのかなーって勝手に思ってた

○   まさか。友達なんて遠藤さんくらいしか居ないし。

遠 相変わらず、おひとり様が好きなんだ。

○   そりゃ、急に人は変われないよ。

遠 〇〇君って好きな人とか居ないの?

○   名前は愚か、顔すら覚えてる人いないんだよ?

遠 それもそうか

○   唯一、遠藤さんくらいだよ。こうやってお茶するの。

遠 お友達協定も悪くないでしょ?

○   まあ、思ってたよりはね

遠 〇〇君って思ってるより学部で有名だよ

○   有名?僕が?

遠 うん、皆に「孤独の人」って呼ばれてる。

○   好きに言ってくれていいさ、どうせ卒業まで話さないんだろうし。

遠 あと1年くらいで私達、卒業だね。

○   遠藤さんは卒業したら就職?

遠 んー多分ね。でも実家がお蕎麦屋さんだからいつかは継ぐと思う。

○   そっか。遠藤さんがお蕎麦屋さんか。

遠 なに?変かな?

○   ううん、そんなことないよ。食べてみたいなって。

遠 ○○君、お蕎麦好きなの?

○   うどんの道とお蕎麦の道があったらお蕎麦の道を通るかな。

遠 なにそれ。でも私もお蕎麦の道かな。

○   でもそろそろ就活始めないといけないのかな。

遠 そしたら私達忙しくなっちゃうね。

○   うん

遠 こうして一緒にお茶もできなくなっちゃうのかな

○   そんな事ない、忙しくてもこの時間は、、諦めたくない。

遠 今日はやけに素直だね

○   唯一の友達だし

遠 ○○君と友達になって良かった

○   うん、僕もだよ

遠 あの時勇気を出して声かけた私を褒めてあげたいもん

○   変わった人だなぁって思ったけどね

遠 ひどーい

繰り返される“友達”という言葉が胸に重く、やけにずしんと沈んでいく。
青春という空気が目に見えるのならきっと今、僕達の周りを緩く淡く飛んでいると思う。
以前から友達や知り合いの存在がなく、およそ1人で生活してきた僕にとって感情を相手に伝えることがこれほど心苦しいものだと初めて知る。
だからこそこうして遠藤さんと友達になれたと思えば胸を張るべきことだとも思うが今は到底そんな張り切った思考にはなれそうもない。

それから何気のない話を数分続けた後、マスターに礼を伝え店を後にした。

○   あ、、

遠 雪だね!

○   久しぶりに見た

遠 綺麗だね

○   積もるかな

遠 〇〇君ってお正月、実家帰る?

○   いや、自宅のこたつから出られないと思う。

遠 そっか。じゃあさ初詣、一緒に行かない?

○   初詣?

遠 うん、近くに神社あるでしょ?そこに初詣行こうよ。

○   行きたいけど遠藤さんは実家帰らないの?

遠 〇〇君と初詣行った後に帰るよ

○   そっか。

遠 うん

○   じゃあ

遠 良いお年を

○   良いお年を


1週間後に会える約束をしたけれどまるで今生の別れのように思えてしまい、名残惜しくなって口ごもってしまった。
元来、神様や仏様の存在を肯定も否定もしていない僕にとって初詣などは年始の恒例行事に過ぎなかった。
ただ今だけは神様やキリスト様にも万歳をしながら礼を伝えたい。
心の中で歓喜しながら“また会える”という遠藤さんから貰った約束を噛み締めて静かに雪を踏み歩いていく。

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