僕の好きな先生から機上より、また会う日まで、
それは、早朝のカーラジオからRCサクセションの名曲、「ぼくの好きな先生」から始まったのでした。
妻の運転するクルマに乗って、真夜中の地方都市から高速バスに乗って一路、羽田空港まで出発したのでした。人生とはクルマのバックミラー越しに見える風景のようだと言ったのは、確かに自分でした。
気が付けば、今の瞬間からどんどんと過去へと過ぎてゆき、どうあがいたところでやはり、先へと進むことしか叶わない時間と空間が、そこにはあるのです。
人生とはバックミラー越しの世界なんて言うのは今どき、マトリックスの原作のベースにもなったサイバーパンクの小説家たち、例えばウィリアム・ギブスンとか?P.Kディックとか、そういうSF小説を、散々読んできたものとしては、そんな日本に住んでいる現実から、海外ツーリング旅行に行くときの心境は、今のままでも十分に楽しい時間があるにも関わらず、ここと違うどこか?
まるで別世界へと旅立つことみたいなものですが、時間と空間は決して過去へと戻ることも無く、今この瞬間からハイウェイを走る高速バスの中の乗客の一人として、どんどんと過去へと消え去ってゆき、やはり高速道路のそのまた先へと進んでゆくことのみの選択なのでした。
「また逢う日まで」という歌は、昭和の歌謡曲の名曲で、尾崎紀世彦が歌った曲ですが、その昔、日本レコード大賞なるものがあり、TVで尾崎が涙を流しながら熱唱していたことをぼんやりと思いだしました。でも曲自体はとても悲しい曲なのですが、なぜか紀世彦の、とんでもないもみあげだけが強烈な印象として残っているのです。
旅の始まりはいつもセンチメンタルなのです。
引用など。
P.K.ディック
フィリップ・K・ディック