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とり枕草子

気が付けば推しの方々がおもろいのんやっておられたので、私もとりま乗っからせていただきまして候。

マクドで季節を感じるのん共感が止まらない。

体調不良ベースで紡がれる枕草子。絵本にして読み聞かせしたい。

ビールが軸足の枕草子。大人の飲み物は、レオンさんの手にかかれば完全に風流。




春はスピッツ。
嗚呼、今年もソメイヨシノが蕾を開き…とか悠長に言ってたら、すぐに世界は黄色に染まる。
ホラ、草野マサムネさんも、『夢を渡る黄色い砂』とか言ってたし。※引用: チェリー
春の雨に出くわすと、脳内には、むず痒くする者たちが洗い流される映像が流れる。
流れるのだが、現実世界では洗い流されてないことに気付いて、軽く絶望する。

西の春は暑いが、東の春は寒い。
西から東に移住した人間には、西と東の寒暖差が身に堪える。いや、書きながら、これはウソだと気付いた。涼しいに越したことはない。でも、花粉症と黄砂と予想外の寒さで、2度と戻れないくすぐり合って転げた日になっちゃってる。愛してるの響きだけでは強くなれた気がしないくらい体調が悪い。それでも憎めない春が好き。

夏は、愛しさと切なさと蝉とL'Arc〜en〜Ciel。
五月、言うてまだまだ頑張れる、六月、梅雨だなぁ、…、、、いや違う、全然雨降っとらせんやん、騙され掛けたが、今はもう夏だ!猛烈に暑い、とんでもなく暑い!!いや、暑いとかいう
という言葉では足りない、痛い!!梅雨ってそういえば明けたんだっけ?なぬ?明けてないだと???最近いつ雨降ったべ???
混乱と共に夏は突然訪れる。

西の蝉はシャーシャーと鳴き、東の蝉はミンミンと鳴く。※裏ドリはしておりません。あしからず。
シャーシャーの雨に降られていた頃は、シャーシャーうっせえ、うるさ過ぎて会話が全然成立しねぇと思っていたが、東の夏はいかんせん静かすぎる。シャーシャーのシャワーを浴びないと、夏らしさを感じられない身体になっちまってる。いっそ東に越す前に、西の地から2匹くらいシャーシャー蝉を連れてくるべきだった。でも、シャーシャーは多分繁殖力が強すぎるから、あっという間にミンミンには会えなくなってしまいそうだ。北海道出身の同僚は、札幌に蝉は居なかったと言っていた。ホントかな。シャーシャーもミンミンも居ないところに、いつ夏は訪れるのか。

路面にポタリと落ちた蝉は、夏の終わりを告げ、あんなに憂えた夏の終焉に、ふとまた憂鬱を感じさせられる。夏は始まりも終わりも憂鬱。ラルクの『夏の憂鬱』を聴きながら、センチメンタルに沈む。

秋は、名前わからん風流な虫の声。
あちこちから、カラカラコロコロギギギーと虫の鳴き声がして、夕風に吹かれながら、「虫が鳴いてるね、コオロギかな、鈴虫かな」とか夫と話したりするが、何の虫なのか、わかった試しがない。音だけで涼しさを感じさせるスキルを兼ね備えた、高スペックな虫たちが、秋のシンボル。なのに名前は全くわからん。

あと、紅葉が楽しめる機会が異様に少ない。毎年、「そろそろ紅葉の時期かな?」とか言っていたら、「紅葉はとっくに終わったよ?」と誰かにに言われるのがデフォになっている。『とっくに』と言われると、よくわからないけど傷付く。そんな、何ヶ月も過ぎてるわけないのに、『とっくに』は言い過ぎじゃない?と気づけば思っている。あれ?もしかして、紅葉の時期が短いんじゃなくて、私がボンヤリしてるだけか?んなアホな。そんな秋が一番好き。


冬は痛みと産声。
思い出せるのは、極寒の最中の陣痛。痛い寒い痛い痛い寒い痛い痛い痛い痛い、ってかいつまで待てば良いのか?とオエオエ吐きながら待っていた。病院へ向かう車中、夫が流してたMISIAの『逢いたくていま』がリフレインして。極寒の退院日、グラグラの安定しない骨盤とパンパンに浮腫んだ足で、産まれたての赤ちゃんを落とさないように、注意深く歩いた。とにかく家事をしなくていいように、ひたすら鍋だけ食べて生きていた。新たな人生が始まった、大切な季節になった。それが冬。


個人的には、JM Chiekoさんの枕草子が読んでみたいなぁ。書いてくれたりしないかなぁ。

↑って書いてたら、今公開にしようとnoteを開いたら、書いてくださっているではないですか!祈り届いた!

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