【noteについて書き尽くす3/6】「いつか」は多分来ないから「今」始めた
最近、好きなことは「いつか好きなことやる」と思っていたら、ずーっとやらないな、と思って、なるべくやることにしている気がします。
中高生の自分に言いたい。
中学生の時なら、やりたい意欲もやり切るエネルギーも今よりもっとあって、もっとやれたはず。
親への交渉などにエネルギーを費やせなかったのが悔やまれる。
思えば、元々無意味な禁欲をする人間だった気がします。
大学生になったらやる、受験終わったらやる、お金貯まったらやる、目標が達成されたらやる。社会人になったらやる。安定したらやる。落ち着いたらやる。
でも、「やる」の為に疲弊して燃え尽きてしまうと、やりたかったはずの「やる」のエネルギーが残ってなくて、結局やらない。
そういう人間だったな。と思います。
あと、目標や展望を立てたのに、達成されなかったり、そもそも達成できないものだと気付いたり、達成すべきものがなくなったり阻害されたりすると、もう本当にどうしようもなくなってしまう気がするのです。
こういう発信的なものも、元々は、「何のしがらみもなくなったらやる」あるいは「一生やらない」だけど、しがらみがなくなるとか、
物書きも、自由になれたらまたやる、と思っていたけど、結局価値観が変わったり、周りの環境が変わってやめてしまっていました。
あ、やれなかったことばかり書いてしまいましたが、もちろんやれたこともあり、やったことで人生変わった経験もしました。
これはエッセイウィークに書こう。
noteを知ったキッカケは、芸人さん達がコロナ禍で舞台のお仕事が減った時にnoteを始めて少しでも収入を増やす為、というのをたくさん見たからだったなぁと思います。
とりあえず、noteは始められました!
めでたい!!