【企画参加記事】Hoark to the Sun!
俺はジーパン。
えっ?ジーパンって何?
だって?
そ、そうか、若者にとって、ジーパンはもはや子供の頃の私達にとっての、袴かちょうちんブルマくらいにアナクロな代物だったかもしれないよね。
で、ジーパンというのは、ジーンズ生地で出来たズボン、いや、ズボンも分からないか、パンツ(下着じゃない方の)のことなんだ。
80年代後半には、ケミカルウォッシュという、履いていた人全員が履いていた事実に対して
「どうかしたてぜ!」
と叫ぶ変わり種もあった。
それはさておき、改めまして
俺はジーパン。
でも、これはあくまであだ名で、いつもジージャン(ジーンズ生地のジャンパー)とジーパン姿の俺を見た先輩のゴリさんが名付けたものなんだ。
そんな俺の職業は刑事(でか)。
配属先は、左曲がりのダンディ署で、その名の通りクセの強い、でもダンディな先輩デカたちに毎日、手荒くかわいがってもらったものだった。
そして、その左曲がりのダンディ署の署長が、
藤堂きゃらをさん
だった。
俺たちは彼のことを畏敬の念と共に
ボス
と呼んでいた。
そんなボスはいつしか現場には出てこないようになっていた。
でも、どうしようもない窮地に陥ったときは、眉間にシワをよせながら、じんわりと熟考を重ねた末に、黒電話から完璧な指示をくれて、俺たちを何度もその境地から救ってくれた。
しかし、パラレルワールドのこの世界では銃刀法が割と緩やかなせいで、先輩や後輩たちが次々と殉職していった。
マカロニ、テキサス、ボン、スコッチ、ロッキー、スニーカー、ドック、ラガー、ジプシー、ボギー、ブルース、マイコン、デューク、DJ
人数以上に、その信じられないくらいバラエティにとんだ刑事たちのあだ名に思わず気を失いそうになる。
ボスが常に寡黙で、喜怒哀楽を表現しないのは、もしかしたら、自分より先に亡くなった彼らへの哀惜の念の表れだったのかもしれない。
そんなボスが肝臓を悪くして、都内の病院に入院したのは果たしていつごろだったか。
確かにワイングラスをフタ回りくらい大きくしたブランデーグラスで毎日、ブランデーを煽ってたら、そりゃあ肝臓も悲鳴を上げるだろう。
面会厳禁だったけど、病室のベランダから、グラサンに白いガウン姿のボスが手を振っていた光景は今でもよく覚えている。
けど、それから数週間後、ボスはあっけなく逝ってしまった。
藤堂きゃらを、享年52歳。
そして、ボスが亡くなったとき、なぜ彼が現場に出なくなったのかその理由が分かったような気がした。
ボスはたぶん死にたくなかったのだ。
いや、より正確に言うと、
俺だけは生き抜かなければいけない
と強く思っていた人だったと思う。
ただの鉄砲玉の俺にはよく分からないけど、そんな覚悟の仕方は確かにボスらしいと思った。
実はボスが最後に現場に出たときのパートナーは俺だった。
強盗犯を見つけた俺はボスを残して一人突っ走り、路地裏にヤツを追い詰めた。
しかし、動揺した犯人は、あろうことか俺にピストルの銃口を向けてきた。
ズドン!
気づいたら、腹が血まみれになっていた。その腹を抑えた両手にべっとりとついた血糊を見て
「なんじゃこりゃあ!」
と叫んだ後の記憶がない。
そして、目覚めたら、俺は病院のベッドに寝ていて、傍らには眉間にシワを寄せたあのお決まりの表情のボスが仁王立ちしていた。
このとき俺はボスの右目にキラリと光るものがあったのを見逃さなかった。
ボスのおかけで生き延びた俺は、一度きりの人生を無駄にしたくなくって、ほどなくして刑事を辞めて、その後は本当にいろんな職に就いた。
体育教師、探偵、家庭教師、ヤクザ、ブルースシンガー等々。
最期は世界最速の女ジョイナーと競り負けて死んだんだっけ。
ジーパン太郎、享年40歳。
そう、なんてことはない、俺もボスと同じくもうすでにこの世にいない人間なのだ。
で、死んでからも時々思い出すのがボスのあの姿だ。
夕方になると、ボスは決まってブラインドを指でくいっと上に上げて、その隙間から夕陽を眺めていた。眩しさのあまり、いつも以上に眉間に皺を寄せて、目を細めるボス。
でも、その眼は、いつだって誰よりもギラギラと輝いて見えた。
きっとボスの目にはあの沈む太陽さえも登って見えていたのではないだろうか…。
「結局、おのれ次第なんだよな。そうだろ、なあ、ジーパン。」
ふっとボスが語りかけたような気がして、俺は後ろを振り返った。
〈おしまいける〉
きゃらをさんのこの企画への参加記事ですが、我ながら、いったい自分は何を書いているんだろう、と思ってしまいました(苦笑)。でも、自分にはなくて、きゃらをさんにはある魅力、すなわち男らしさみたいなものが読者の方に伝われば、御の字です。
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