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ライトエッセイスト宣言

これは自分の勝手な思い込み(被害妄想)である可能性も大いにあるのだけど、僕の文章は、ある種の人々にとっては完全にアウト オブ 眼中なのである。

例えば、どういうときにそれを感じるかと言うと、ある人たちの記事を読んで面白いとかすごいと思って何度か❤️をしても黙殺され続けた際に、その人たちが仲良しだったり、お互いにリスペクトしている姿を目の当たりにしたときだ。

一時期は、というか、つい最近までは、その現実に計り知れないコンプレックスを覚えていたわけだけど(何しろみんないわゆる文芸に造詣が深い人たちだったり、文章家を自認他認する人たちばかりだからだ)、ようやくそれは単なる好みの問題に過ぎず、たとえ彼らにとってのno where manだとしても、僕は今、ちゃんとここにいる

now here man

だというように思えるようになったのだ。

と同時に、どうやら僕は、自分のキャラクターや人間性、つまり、記事に書いている内容以上に、自分が紡ぐ言葉(表現)に対して、傲慢なまでのプライドを持っている人間であることにも気づいてしまったのだった。

そうなのだ。

我ながら、あまりの展開に腰を抜かしそうになっているけど(苦笑)

こんな、

詩的だったり見目麗しかったり圧倒的な表現力を持ち合わせてもなければ、

他人の度肝を抜くようなストーリテラーでもない

そんな自分の書く文章こそが一等星だ

ってこいつはどこかで信じて疑わずにいるのだ。

そして、そんな文章のことを、あえてここで僕は明確に

ライトエッセイ

という風に名付けたい。

ちなみにこのライトは、さらっと読めて、ほとんど読み返されることもないし、ましてやプロの注目を浴びることもない、まさに軽いを意味するrightと、

それでも自分にとっては紛れもなく暗闇を照らす光であり続けるという意味のlight

のダブルミーニングである。

そして、僕はこのno+e随一のライトエッセイの書き手になりたい。

そんな深夜、突然の、N.O.T.Eのライトエッセイスト宣言。

瓢箪から駒とはまさにこーゆーことなのかもしれない。












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