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こころをことばに、そして、ボクはチップスターに

1.二人の言葉は、心のまんま

今週の日曜日、久しぶりにテレビをつけたら、ちょうどEテレで日曜美術館をやっているところだった。

内容は、今年の1月に101歳で亡くなられた染色家の柚木沙弥郎さんと絵を描くのが大好きな少年の交流を描いたものだった。

その歳の差はきっと90歳は超えるだろう二人だけど、本当に息がぴったりというか、互いに発する言葉に対して二人の気持ちがビシバシ反応している感じがして、見ていて本当に痛快だった。

そのやり取りの中で、沙弥郎さんは、

「僕は死ぬまでワクワクしたいんだ」

と語り、その言葉に少年は激しくうなづいていた。

この映像が収録された翌年に亡くなる沙弥郎さんにとって、死はほとんど目前に迫ったものだったのかもしれない。でも、ワクワクしたいと笑顔で語る沙弥郎さんの姿に死の影は微塵も見当たらなかった。

一方の少年はと言えば、鼻に管が通されていたり、彼の隣にいるお母さんがずっと涙ぐんでいる様子を見ると、彼にとっても死は少なくとも僕よりはずっと身近なもののように思われた。

そして、その互いの引力で強く引かれ合う惑星みたいな二人の様子を眺めながら、

「ああ、この二人の言葉は、全くもって二人の心そのまんまだ」

と僕は思ったのだった。

なぜなら、

自分の命の灯が燃え尽きる直前までワクワクし続ける

本当にそのことしか頭にない二人には、

自分の心をキレイに飾ったり、蓋をしたり、上手くごまかすための言葉なんて全く必要ないと思ったからだ。

そして、だからこそ、僕は二人の言葉を聞いていて思わず泣きそうになるくらいめちゃくちゃドキドキワクワクしたんだと思う。

2.じゃあ翻って僕自身はどうだろうか?

かたや僕自身があの二人みたいな言葉を発せられているのかというと、ほとんどそうじゃないことが分かる。

確かに僕がいつも話したり書いたりしている言葉のほとんどは、僕の正直な心というよりも、世の中をなんとかうまく渡り切るための単なるオール(道具)に過ぎないからだ。 

たとえば、僕が誰かに

「きみ、素敵だね」

と言うとき、相手に嫌われたくないという下心がゼロではないことを残念ながら僕は知っている。

でも、だからこそ、今や間違いなく誰かのためとかじゃなく、自分のために書いているこのno+eの記事だけは、出来るだけ

自分の本当のこころを乗っけたことばを綴れたらなあと考えている。

それも出来れば、沙弥郎さんとあの少年みたいな


ワクワクしたこころ

をね。

3. そんな僕が夢想すること

そう心に誓った僕は、最近、何かと話題のあのチップ問題についても、他の人たちとは一味違った、つまり、自分の心が思わずドキドキワクワクしちゃうようなアプローチを取りたいと思っている。

けど、それは決して無理している訳でも奇を衒いたい訳でもなんでもなくて、実際にチップという言葉を聞くと思わずプッと吹き出してしまうエピソードが僕にはあるのだ。

それは初めてのアメリカ出張で訪れたラスベガス空港(当時の正式名称はマッカラン国際空港)内のカフェでのことだった。

チップの相場がチンプンカンプンな僕がおそらく相当に破格な額のチップを渡したとたん、カフェのウェイトレスさんのサービスがまるでスーパーサイヤ人並みにパワーアップして(確か栗色の髪も金髪になっていたような)、その現金すぎる姿に僕は抱腹絶倒してしまったのだった。

で、そんな彼女のおかげでチップという言葉に対する抵抗感がみんなほどにはない僕だからこそ、これからもし素敵な記事に出会えたらどんどんチップをはずんでいって、いつの日か

「N.O.T.Eは、no+e界のチップスターだ」

とウワサされるようになりたい。

さて、みなさん、どうだろうか?

仮にこの世界が僕らの大切にしている言葉を踏みにじる、とても残酷で理不尽なものだったとしても、

それでも絶対にワクワクしてやるかんな!

という僕の意気込みは伝わったでしょうか?

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