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ボクのインテリア遍歴

今回の引越しを機に、まさに自らの寝た子を起こしてしまったボクの四半世紀に及ぶインテリア遍歴を今、ここに振り返る。

24-27歳 ちゃぶ台期
港の見えない丘の上にある横浜の食品工場に就職したボクは、週末、横浜線と小田急線を乗り継いで、よく下北沢に通っていた。

そして、そんなボクのお目当てのお店はいわゆるシモキタ名物の古着屋でもカレー屋でもビレバンでもなく、20世紀末のシモキタの街に割と多く見られ、そして、今やほとんど見る影がなくなった、大正昭和レトロな古家具と雑貨を扱うアンティークショップの類だった。

ちなみにこのとき、ボクが買った古家具は、楔付きの飾り棚とか、丸いちゃぶ台とか、振り子時計とか、乳白色の楕円形のガラスに黒い鉄製の飾りが縁どられた照明とかだった(どれも数千円〜2万円程度だったから、洋服感覚で割と気軽に買えたのだ)

そして、雑貨の方はと言うと、大正期のガラス食器とか、昔の企業のノベルティグッズとか。なぜか当時、昔の銀行(三和銀行とか太陽神戸銀行とか)のビニール製のノベルティ人形にハマってて何個か集めていた。ちなみに一番欲しかったのはソニー坊やの人形だったけど、当時から高値すぎて手が出なかった。

あと、MEIJITAMA CHOCOLATEと書かれたエンジ色の四角いチョコレートの紙箱を大枚(一万円)はたいて買って、一緒にいた友達に呆れられたこともある。この頃からすでにボクの金銭感覚はオカシカッタようだ。

で、それらの戦利品を、サブカル系のCDや本やら映画のポスターやら無印良品のパイプベッドやテレビデオやらと共存させて住んでいたのが、記念すべきボクのマイ・ファースト・インテリアである。

まあ家具の配置とかもあまり深く考えずに、ただ自分の好きな物を無造作に並べていたに過ぎなかったけど、同じアパートに住んでた同期の男の子(パチスロ好き)から「なんかオシャレな部屋だね」と言われたことはあったかな。

〈当時、通っていて現存するお店〉
アンティーク山本商店

<当時、良く部屋で流していたBGM>


28-35歳 ヨコハマ&北欧期

転職と結婚を機に、山手と上大岡という比較的、横浜の中心部に居を構えるようになる。

すると土地柄のせいか、途端に舶来物、特に、当時、流行っていた北欧系の家具や食器などが気になり始めた。あと、柳宗理やカリモク60に代表される日本のロングライフデザインに興味を持つようになったのもこの頃だ。

特に上大岡の家は妻の両親が建ててくれた新築の一軒家だったから、折角なので、広めのリビングに当時の自分のこだわりを存分に詰め込んだ。

カリモク60の黒のレザーソファとコーヒテーブル、昭和レトロな小ぶりな本棚、スペーシーなフォルムの昭和40年代の東芝のデスクランプ、柳宗理のエレファントスツール、壺みたいな模様の北欧のカーテンなどなど。

挙句の果てに、リビングの壁に雑貨屋さんにあるような飾り棚までDIYで備えつけるほどの熱の入れようだった。

その後、妻と離婚して、わずか2年でその家を出ることになるとは露とも知らず…。

〈当時、通っていて現存するお店〉
MOMO NATURAL(横浜ワールドポーターズ店)

D & DEPARTMENT(九品仏)

F.I.Q(自由が丘)

ナンセンス(当時は学芸大学にも店舗があって、そっちの方によく通ってたかな)

<当時、良く部屋で流していたBGM>

36-37歳 IKEA期
従兄弟家族から誘われて彼らが住む小岩に引っ越し、エドリバーサイドのワンルームマンションで、心機一転、久々の単身生活を始める。

また家具類をいちから揃えることになったボクはメジャーで部屋の大きさをきちんと測ってから、南船橋のIKEAでほとんどの家具を買い揃えた。

そして、都立大学にあるNO NAME PALISH で、G-PLANの円形テーブルを購入して、いわゆるヴィンテージ家具デビューを果たす。

このとき近所に住む従兄弟のお姉さんから、

「すごく素敵な部屋だね。インテリアの才能あるんじゃない?」

とボクがインテリア沼にはまるきっかけとなった重要な一言(悪魔のささやき)を言われる。

実際、自分でも、ひょっとしたらそうかもしれない、と思い始めていたところでもあったしね。

〈当時、通っていて現存するお店〉
IKEA(南船橋店)

NO NAME PALISH(都立大学)

<引っ越仕立ての頃によく流していたBGM>

38-49歳 インテリア沼期
再転職、再婚を機に、東京の東端から、西の果て(国立市)に引っ越したボクは、築年数は古いけど、ファミリータイプの広めの賃貸マンションに住み始める。

そして、たまたま訪れた近所の古道具屋さんにまるで胸ぐらをつかまれ、両頬を往復ビンタされたような衝撃を受ける。

そして、この体験が引き金となり、ボクのインテリア沼の歴史が正式に幕を開けたのであった。

古今東西の多種多様な家具や雑貨を自分の好きなようにレイアウト(配置)することの楽しさ(沼)にずっぽりハマった僕は、深夜、アイデアを思いついたら、近所迷惑も顧みずに、ごそごそと家具の配置を変え始めるという正真正銘のマッドインテリアストと化したのだった。

その後、旅先で気に入った雑貨を見つけたら必ず買ったり、本当は必要のないはずの家具の買い替えや買い足しを繰り返していった結果、家にはたくさんのモノ(ガラクタ)が溢れていき、住み心地はどんどん悪くなっていった。

住み心地の悪いインテリア

ってどないやねん!

って話だけど(笑)

というわけで、実は家族からはずっと不評を買ってきてたんだけど(苦笑)、今から2年前に息子が猫を飼いたいと言ってペット可の家に引っ越したのが転機となり、状況は少しばかり改善したかもしれない。

というのも、今までみたいにそこらじゅうに雑貨を置いていたら、それこそ猫が根こそぎなぎ倒すことが容易に想像できたから、新居では極力、モノを置かないように努めたのである。

それとリビングが以前の家よりも広くなかったことが相まって、少なくとも、前みたいに妻と息子の二人から、たまにブーイングを受けるようなことはなくなった。

一方で、そんな周囲からの反応と反比例するかのように、なんとなく自分のインテリア熱は冷めていって、ちょうどそんな折に、自分の新たな趣味としてnoteを書き始めて、現在に至る、という訳である。

〈当時、通っていて現存するお店〉
レットエムイン

<当時、息子が生まれた頃、良く部屋で流していたBGM>

そして、これから・・・。

思いがけない理由で先月末に引っ越した新居で、妻がしきりに

「なんだかすごくいい家だね」と嬉しそうに言うのを横で聞きながら、

「ようやくここまで来れたか」と少し感慨深い気持ちになった。

もちろん彼女が語る「いい家」の理由には、いろんな要素が含まれているのは承知しているけれど、どうやらその一群の端っこの方に「僕が考えたインテリア」もいることが何となく伝わったからかもしれない。

実際、僕自身、インテリアと言いながら、もともとは自分のこだわりの追求という完全に自己満足の趣味だったこともあり、これまでその自分のわがままのせいで家族にはずいぶん迷惑をかけてきたという自覚はあったけれど、ここにきてようやくお互いがウィンウィンな関係になれる、いい着地点を見出せたような、そんな手応えを覚えていたところでもあった。

ちなみに、僕のインテリアのモットーは、ずばり

ごった煮

である。

出自も個性もバラバラな食材が鍋の中に投入されて、味なんて全く想像もつかないような状態のときに、それぞれの食材の配置や味付けを工夫することで、ちゃんとまとまりのある味に仕上げる、という意味で・・。

で、自分が言うのも何だけど、僕の作ったごった煮の味はそれほど悪くないと思っている。

そして、今こそは、そこで培われた料理の腕前を、周りにいる多様な人達と調和しながら過ごすためにこそ発揮すべきときなのかもしれない。

などと思わず口走ってしまったが、できるかどうかなんか皆目、見当もつかない(モノ言わないモノよりぴーちくぱーちくうるさい人間の方がよっぽと難しいはずだしね)。

でも、一度、口にしてしまった以上、覚悟を決めるしかない。しかも、いつの間にか、インテリアの話ではなくなってしまってるし・・。

まぁ、兎にも角にも

やるっきゃ騎士(ないと)!

<最近、お気に入りのBGM>







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