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コーヒーブルース
その日、横浜元町の雑居ビルの一角にあるこじんまりとしたカフェで我らN.O.T家族(旧おいしい家族)は、緊急の家族会議を開いていた。
議題は、
さっきペットショップで出会った子猫ちゃんを飼うべきか否か、というもの。
今思うと割とむちゃくちゃなこと言われてたんだけど、その時は店員さんのトークの魔術と、子猫ちゃんの魔法にかかって完全に我を失っていた。
確かにすんごく可愛くて、おとなしくて、すぐなついてくれて、そして、なんかよく分からないけど、すんごい珍しい種らしかったけど、
一匹60万円って!
あと、そもそも今のマンションは、猫飼っちゃいけない契約になっているし!
にも関わらず、いかにもカリスマ店員っぽい雰囲気のお姉さんから、
月賦払いにすれば、月々たった8000円の出費で済みますよ〜
とか
飼っちゃいけないアパートとかで内緒で飼っている人も実はたくさんいますよ〜
とか
甘言=悪魔のささやきを言われるとさ。
そして、さっきから、そのつぶらな瞳で僕らを見つめないでよ、仔猫ちゃん!
というようなことがあり、僕らはいったん店を出て、近所のカフェで、頭を冷やしてさあどうすっぺ会議を開いたというわけ。
正直、僕自身は、ずっと猫を欲しがっていた息子(当時、小1)がもしどうしても飼いたいと言うなら、清水の舞台から飛び降りて、かつ、無法松の一生になる覚悟は出来ていた。
目の前のその息子はさっきからずっと沈黙を貫いていて、彼なりに精一杯、どうしたらいいか、を考えている様子だった。
そして、二十分後、いよいよ彼の口から発せられた第一声は、
「やっぱ今回はやめとくわ」
というものだった。
理由は、やはり飼ってはいけない今の家で飼うのは忍びないから、当初の予定通り、ちゃんと猫を飼えるところに引っ越して、そこに保護猫を迎えいれた方がよい、というとても彼らしい大人な判断だった。
それを聞いた瞬間、正直、僕は、肩の力が抜けるくらいホッとした。
いやあ、人の道を踏み外さなくて本当によかった〜!
そして、ここでようやく、ずっと手を付けられずに所在なげにしていたコーヒーの存在に気がついた僕は、カップに手を付け、くいっ!とその黒い液体を喉に流し込んだ。
「う、うまっ!」
と思わず口に出すくらいそれはとても美味しかった。
そりゃそうだとも!
それは、鎌倉にある有名なカフェの豆を使ったコーヒーだったのだから。
でも、この深い苦味のあとにほのかに鼻に抜ける甘い香りの正体は、きっと豆のせいだけじゃない。
そんな感想がふと僕の頭をかすめた。