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ボクらがバイクに乗りたくなる理由のひとつ(たぶん)

以前、お世話になった人と飲んでいたとき、その人は定年間近なおじさんなのだけど、最近、大型バイクの免許を取って、息子さんと一緒にツーリングしているんだという話をしていて、ちょっといいな、と思ったのだった。

そう思ったのは、もちろん、自分と息子の未来予想図を想像したからだった。

まあ、その未来は限りなく妄想に近い未来であることは自分でも重々承知の助ではあるのだけど・・・。

というのも、身内に交通事故で大変な目に遭っている人が何人かいる僕らは、オートバイどころか車すらビビって乗れない親子だからだ。

でも、これから息子が大きくなって、万に一つ、バイクに乗りたい、とか言い出したら、僕はすんご~く嫌だけど、たぶんOKするだろうし、同時に僕も免許を取るだろうと思う。

なぜなら何となく彼がオートバイに乗りたくなってしまう気持ちが分からないでもないからだ。

それは、おそらく僕にも大学時代、スクーターだったけど、バイク体験があったからだと思う。

ちなみに当時の僕にとって、バイクは、自分がとことん孤独になるためのツールだった。

実際、僕はどこにも行くあてもないのに、黒い排気ガスをバンバン吐き出す大型トラックたちに混じって国道の山道をひとりでよくひた走っていた。

例えば、冬のこの時期は、フルフェイスのヘルメットの首の隙間からビュービュー入りこんでくる冷たい風が肌を突き刺すのをヒリヒリと感じながら、確かに僕は、そんな飛び切りのぼっち時間を思う存分、楽しんでいた。

いや、まあ当時は、ぼんやりとした、でも底知れなくもあった不安とさみしさしか感じていなかったけれど、今振り返ると、なんだかんだそのシチュエーションを楽しんでいたような気がしてならないのだ。

何しろ、自分の人生であんなにも純粋に1人きりで孤独と戯れることが出来たのは、後にも先にもこのときだけだったからだ。

目の前に大きなトンネルが現れ、僕はその黒い穴に吸い込まれる。

急にあたりが暗くなり、一端、アクセルを緩める。

でも、目が慣れ始めた途端、僕は右のハンドルをグッ―と手前に引いた。

ぐんぐんとスピードが上がり、やがて点から線に変わった青白い照明は、

何食わぬ顔をしてそんな僕を通り過ぎていく。

思わずこの世界の何かと繋がったような錯覚を覚える。

そのときの僕の口角は確かに少し上がっているように見えなくもなかった。

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