ここにいる理由なんてない。ただ、いたいだけ。
それは、有史以来、すてに3000億回くらい語り尽くされたであろう話なのは、自分でも承知の上だ。
「みんな、おんなじさ」
「君だけじゃない」
「そんな大げさな」
みんな悪気があって言っているわけじゃないのも分かっている。
けれど、そう言われたときに、僕はこの世界にひとりぼっちで取り残されたような気持ちになる。
本当はそうじゃないって分かっているのに、そのときはそう思ってしまうのだ。
そして、そんな自分はダメなやつだと後で必ず反省するんだけど、これからは反省しないことにすることに決めたんだ。
だって、やはりそれは誰がなんと言おうと
本当のこと
だからだ。
それが、どんなにありきたりで、みんなも自分も聞き飽きたような月並みな悩みだとしても、あのときの
身を切り刻まれるようなツラい感覚も、さみしいって思う気持ちも全部、あのときの自分にとっては紛れもなく本当のことだから、
「大丈夫だよ」
なんてうそぶく代わりに、
その
本当のこと
にちゃんと向き合って、
じゃあどうしたらいい?
について、
もっとちゃんと真剣に考えようって思っている。
ちなみに、この本当のことには、2つのエレメント(要素)が含まれていると僕は考えている。
それはつまり、
ファクト(事実)
と
エモーション(感情)
だ。
このファクトは否定的な意味合いのものなので、アクシデント(災禍)と呼んでもいいかもしれない。
そして、僕は、そのどちらに対しても、過大評価や過小評価をすることも、たやすく善悪のラベルを貼りつけることもなく、そして何よりも冷静沈着に、
ただただ
あるがままの姿
をじっと見つめられるような胆力を養いたいと考えている。
それって何気に神技級に難易度が高い所業だと思うし、僕だって今は全く出来ていないという自覚しかない。
でも、ほぼ直感的に
全てはここからしか始まらない
という確信もある。
言い換えれば、
自分が変わるため、そして、世界を変えるために必要なヒントは、すでに誰かが手掛けた華やかで分かりやすいエピソードやアドバイスの中にはなくて、自分を不快な気持ちにさせたり、激しい苦痛をもたらすような
僕らが現実社会で否応なく味合うピンチの中にこそ包含されているものだ
と少なくとも今の僕は考えている。
そう、ピンチはやはり最大のチャンスなのだ。
だから、もうたやすく目を背けたりはしない。
ところで話はいきなり変わるけど、
子供の頃には想像もしていなかったんだよなあ。
この世界がこんなにもインチキで自分勝手で間抜けな人間ばかりで、残酷で冷血なものだったなんて。
でも、そう思うと同時に、
どうしてこの世界にはこんなにも誠実で聡明な人がたくさんいて、優しさや愛に満ちあふれているのだろう
とも思っている。
というか、実はこの2つの世界は究極的には同じものなんだろう。
そして、そんな世界とは、とどのつまり
自分
なんだろうな。
と、半ば強引に結論を出してみた(笑)。
まあ、我ながら何を言ってるのか訳が分からなくなってきたので、今日は、この辺で終わりにしといてやろう。
でも、最後にひとつだけ言っておきたいことがある。
僕はだね。
どんなに無様だろうがカッコ悪かろうが、
このどうしようもない世界=自分という土俵の上で、
自分にしかできない
裸踊り
をこれでもかとばかりに
楽しく
激しく
汗水と鼻水まみれになりながら
これからも踊り続けていくつもりだ。
たとえば、こんなご機嫌な曲と一緒に、ね。
ぜひ、みなさん、遠巻きでいいので、その様子を見ていてもらえると、ありがたい。
それこそ踊りがいがある、からね。
さて、そろそろ盆踊りの季節がやって参りましたね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?