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そして、ボクたちは「おひとり様」になる。

三連休の中日(なかび)

その日はもともと家族でお出かけする予定だったのだけど、息子が熱を出したため、急遽、取りやめにしたのだった。

そして、せっかくなので、僕自身も昼過ぎまでたっぷりと秋眠を貪った後、晩ごはんのおつかいを兼ねて駅前にあるお気に入りのカフェに行ったのがその日の15時過ぎのこと。

何となく半年前に買って以来、ずっと読んでなかった本を携えていった僕は、落ち着いた雰囲気の店内で美味しいコーヒーを飲みながら、パラパラとページをめくった。

そして、30ページくらい読んだところで、僕はパタンと勢いよくその本を閉じた。

このときの僕は、きっととても満足げな表情を浮かべていたに違いない。

なぜなら、その本には、

孤独は人生を豊かにする

的なことが書かれてあって、確かに

そうかもしれないな

と思えたからだった。

例えば、僕は

中高の6年間、ひとりも友達がいなかった

というまごうことなき黒歴史の持ち主なのだけど、そのときの自分のことを改めて思い出すと、もちろん

さみしかったし、辛かったのだけど、決してそれだけじゃなくて、それなりに楽しかった事実にもちゃんと気づけたからだ。

当時、学校を休みがちだった僕は、平日、山を一つ越えたところにあるかつて自分が通っていた小学校がある街まで自転車で片道2時間くらいかけて行く

ということをたまにしていたのだけど、その行為自体は我ながらとても後ろ向きで、しかも街に着いたところで誰かに会うわけでもないから、余計に孤独を感じるだけだったのだけど、そのとき必死に銀色のクロスバイクのペダルをこいでいた自分の頬を撫でる冷たい風がとても心地よかったこともまたはっきりと思い出せるのだった。

そして、そんな風に若くして、ちゃんとひとりぼっちの時間を過ごして、それは決してさみしくて辛いことばかりの時間じゃないってことを体感したからこそ、これまで僕は

孤独になることをそれほど恐れることなく、

要するに

社会に適応するために本当の自分の気持ちに完全に蓋をすることなく、

それなりに自分らしい人生を送ることが

出来たのかもしれない。

そう考えると、余計にその本に書かれている内容が腑に落ちるのだった。

そして、そんな風に、孤独だった自分のことをないがしろにするわけでも、逆に過剰に慰めてしまうわけでもなく、等身大のありのままの姿で見つめられたときに、

人は初めて

単なる

ぼっち

から

おひとり様

になれるのかもしれない。

そんなことをひとりごちた後、僕は静かに目を閉じてみた。

するとその瞼の裏には、僕と似たようなおひとり様たちがこの地球上のどこかで今もそれなりに、でも懸命に暮らしている姿がくっきりと浮かび上がってきて、

途端に心の奥の方がじんわりと温かくなるのを感じたのだった。

それはきっと

僕たちはひとりだからこそ、ひとりじゃない

という真実にようやく僕がちゃんと気づけたおかげかもしれない。

ちなみに、このとき↓に買った本です。

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