風を入れる
不登校の当時を思い出すと、わが子の気持ちを考えることに忙しく、自分の気持ちの何がどう辛いのかを理解できていなかった。
わが子がどうしたら登校できるのか
時間が経つともう何も考えられなくなった。
わが子が不登校になってから何年経ったのだろう。
ここまでくると、もうどうにかなるだろうという諦めになる。
ここまでの時間もプロセスとして必要だったのか、だだの惰性な時間だったのかもわからない。
諦めたら願いが叶うということがある。
私の葛藤が消えたのはきっとこの時だ。
私が蓋をしていた
ここを開けなければ変わらなかったと、後からわかった。
その箱の中身が悪いとか、そういうことではない。
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