16歳の夏、彼女は銀杏BOYZに出会う。
電車は時間通りに来ない。
やっときた電車に怒りと共に乗車する。
車内はいつもより混んでいて、
雨で湿度が上がった車内に、
怒りは変形して不快感となった。
シャッフルで流れてきた
あるバンドの曲。
銀杏BOYZのぽあだむだった。
ぽあだむを聞いた時、
峯田の声を聞いた時、
なぜだか少し解放された気がして、
なんか頑張ろうって思えた。
そういえばあの時、16歳の夏から、
私の憂鬱をぶっ壊してくれたのは
いつだってこのバンドだった。
16歳の時、
ものすごく好きな男の子がいて、
それはそれは好きだった。
不登校だったから
たまにしか来なかったけれど。
席は決まって窓側で
カーテンが揺れると、
その子の香水がふわりときた。
私は話しかけることなんてできなくて、
目があっただけでドキドキしたものだ。
しかし、彼には恋人がいた。
他校らしい。
学校からの帰り道。
「夢で逢えたらいいな」と
YouTubeで検索した。
それは、そう。彼を想って。
16歳の夏。
あれは衝撃だった。
‘君に彼氏がいたら悲しいけど
「君が好き」だという
それだけで僕は嬉しいのさ’
そう、恋人がいたって別にいい。
こんなに好きになれたこと。
自分も人を愛せるということ。
こんなに一途に想えること。
それだけで幸せなんだ。
友達とは趣味が合わない。
グミチョコを読んで時間を潰す。
そんな高校生活。
本の隙間から、彼を覗く。
彼は友人と笑っていて、
それだけで嬉しかった。
銀杏BOYZのレコードを聴くために
走って家に帰る。
銀杏BOYZのコピバンをするために
ベースを夢中で練習した。
「恋と退屈とロックンロール」
私の人生は銀杏BOYZでできていた。
銀杏BOYZは
どこまでもまっすぐだ。
そのまっすぐさは
私たちの苦しい青春の、
凶器となり、盾となる。
最も好きなアルバムは、
2005年に発売された「DOOR」だ。
このアルバムの曲は真っ裸である。
あまりに曝け出した楽曲たちに、
つい自分も全てを曝け出してしまう。
まさしく初期衝動。
それらを探究し続ける姿勢に、
全ての冴えないロックンローラーは
銀杏BOYZに共鳴するのだ。
そして私もその1人である。
特にNO FURTHER NO CRYが
私のお気に入りで、今でも頻繁に聴く。
銀杏BOYZは少し大人になった今も、
私たち、リスナーの味方であり続ける。
時に、峯田自身の恥を曝け出す。
それに応えるように私も叫ぶ。
「峯田」と。
形を変えて、共に成長をする。
銀杏BOYZは今も私の日々の中で
もがき、争い、抗い、そして
生きる。
銀杏BOYZは、
全てのひとりぼっちのために
今日も歌い叫び続ける。
そして21歳の夏。
彼女は今日も銀杏BOYZを
ひたむきに想い続けるのであった。
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