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あの日も今日も同じ空

痛快だったね!っていわれそうな
遊びをしていた幼少期でしたが、、

とても深刻な悩みがありました。
これは高学年からのことですが、
社会の歴史の授業です。

なにが?
それは「第二次大戦」です。
被害の写真資料を見ることが
とてつもなく怖くて、
前の席から順番に渡ってくるんですが
もう目を開けていれず
手に取るのも怖くて、
黒板に何か貼り出されるときは
ずっと下を向いていました。

そして、脳震盪を起こしそうな
「はだしのゲン」のアニメのビデオ。
効果音が、人物の声が、
私のからだのなかに入り込んできて
それから逃げ出せず
吐き気を催しながら
ぐちゃくちゃに涙を流して
腕で頭を隠し、机に伏してました。
終わったあとは
もう脱力と憔悴でした。

別の日、
「今日は◯◯でしたが、道徳になりました」
わーい、と思ったのもつかの間、
また「はだしのゲン」………………

ちょっと、なんなの?
こないだ見たでしょ?
そして私の姿も…
ねえ、声掛けてくれないかな?
大丈夫?って

掛けるわけないよね。
ってことで、2回目……

もう、十分わかっているんです。
どれだけ残酷で、恐ろしくて、
どんなことがあったかも。
これ以上を知らなくても、
もうフルに感じているから。


だのに、私は図書館で
単行本の「はだしのゲン」を
恐る恐る読むのでした。



いつの頃か、
テレビ番組の
たしか「2時のワイドショー」か
「3時のあなた」で
原爆投下のときの様子を
ゆっくりとした
アニメーションにしたものを見て、
ほんの数十秒だったけど
どんな場面なのかも
はっきりわからなかったけど
とても心が痛くて、苦しくなりました。


それからは
飛行機の音がすると
途端に怖くなって、
爆弾が落ちるかもしれない、とか
あのとき、爆弾が落ちてきたんだ、とか
戦争に自分を浸らせる癖がついてしまって。

夏の暑い日の
突き抜ける青空を見れば、
あの原爆が落とされた日も
こんな風に暑くて
よく晴れていたんだよな
とか、考えてしまったりして。

怖いのに、知りたくて、
小説を読んだり、
新聞の記事を読んだり、
とにかく戦争のことを知りたくて
見れるものであれば、
恐る恐る手にとるようになりました。



こんなにも残酷なことがあった当時に、
人々は暮らしていて
どんな思いだったんだろう、
どんなにかつらかっただろう、


このことは、貧乏な自分を
奮い立たせるための
言い聞かせてたものでもあって、

戦争のなかにいた人たちに比べたら
私はどれだけ恵まれているだろう、と
比較をするのですが

そのことによって
がんばったり、乗り越えられたことが
何度もあったりしました。

防空壕の中で、友だちと手遊びしたり、
お話したり、本の読み聞かせをしたり、
その時間を笑って過ごしていたんだよっていう
そんなエピソードは
またあとで知ったんですけどね。

怖い、苦しいことばかりでもない風景も
あったんだよね。



子どもをもって
その当時を考える視点は
自分が子供の頃とはまた違ってきました。

1番忘れられないのは
当時31歳くらいのお母さんと
小学校1年生の男の子のお話。

語ったのは98歳(だったかな)のおばあさん。
お母さんだった方。
お話は、広島の、あの日のこと。

入学当時の写真、
まだ小さいけど、帽子や制服で
とても凛々しく見える。
お母さんもそれを撮影したとき
さぞ嬉しかっただろう。

だって、私だって、今年の春、
そうだったから。
あー、やっとここまで大きくなったなー
これからお勉強もお友だちも
楽しみだよね。

その日、男の子は小学校へ。
お母さんは原爆投下のあとに
小学校へ男の子を探しに行った。

校庭に横たわっていた姿は
誰かわからない、けど
お弁当箱がその男の子のものだとわかって
あぁ、息子なんだとわかったんだって。

切り取られたそのお話だけでも
充分。
だけど、その周りには
数えきれない数のお話があって
この世だろうかと思うほどの
地獄の光景が広がっていただろう。

そのお母さんは、
それからとても長生きしたんだね。

あの日から
苦しくて、悲しくて、恐ろしい記憶と
元気だった男の子の記憶と、
こんなにも長い間、脳裏に焼き付いたまま
生きてこられたと思うと
胸が苦しかった。

「私だけ、こんなに長く生きてしまって」
そう呟いて、涙を流していたお母さん。

このお話は、
五年ほど前に、テレビ番組で見たもの。
お母さんは、それから
どうされているのかな。



去年はずいぶん、
そういう類いの番組を見たのだけど
今年は少し、心を休ませることにしました。



日本はどうして戦争をはじめたのか。
なんとかして、免れることができたのでは?

前後の事件や、外国との会議、
陸軍、海軍のこと、、、
天皇陛下の関わり、、
そうして知っていくと
この戦争を防ぎたくても
防ぐことが苦しかったなと感じたり。

あの時代の日本は
とんでもないことが当たり前になっている、
何かの都合がいいように
国民が支配されていて、、、

そんな時代を生きた95歳のおばあちゃんが
お店に来て、
とてもやさしい笑顔で話してくれるのが
不思議とすら思ってしまいました。


人間は、怖いな
際限ない残酷さをもっていて、
どこが限界かとか、誰もわからない
この残酷さを、強く奮い立たせるものは
なんなのか?

問いて考えることが
まだまだたくさんあるけど、
あんまり考えると
あのときと同じように
脱力して憔悴しちゃうから
ほどほどにしなきゃな。



けれども、毎晩思うことがある。

子どもの手足を見て、
こんなにやわらかくて、かわいくて
大事なものが
どうかこの先で
どこかへいってしまわないように
どうか、大きく育って
何かを救うような手足でありますように。

安心して、
すやすや眠ることができる日々が
ずっと、ずっと続きますように。

暑い夏には、
ひときわ強く、願います。







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