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靴が、集まるだけで、高揚してしまう。
性癖を暴露したみたいになっているが、多くの人にとって、経験のあることだと思う。
つい先日のことだ。6人でグランピングに出かけた。
ロッジの玄関に6人分の靴が、ギューギューに置かれていた。
靴の上に靴が置かれていた。
どの靴も、色から、形、すべて異なる。
みんな違ってみんないい。みたいなことを言いたいわけではない。
靴がギューギューになるだけで、楽しそうな雰囲気がしないだろうか。
こんなに人が集まって、靴を綺麗に置くことも忘れて、盛り上がっている気がしないだろうか。
多分あの玄関は、6人分の靴の大きさはなかったのに、そこに無理くり言って、6人分の靴おいてしまう楽しさの先取り感。
みなさんも感じたことは、ないだろうか。

思えば、小学生の頃にも同じようなことがあった。
4〜5家族、合計15人ぐらいで、パーティーをしようなんてことがあった。
その時の玄関は、大人の靴が、将棋のマスのようにきちんと並べられ、子供の靴はその上に無秩序に異なる方向を向いてに置かれていた。
将棋でいうと、桂馬のような靴だろうか。
確かに、子供にとって靴を綺麗に置くことは意味をなさない。
靴だけが、その場のみんなの状況と感情を正しく示してくれる。
そんな気がする。

靴がギューギューに置かれているのが楽しいのではない。
楽しい時に限って、みな靴のことを忘れるのだ。
自分の全体重を支える靴。
履くと気分が上がるお気に入りの靴。
お高くとまれるお高い靴。
コンビニに行くためだけの、ただのサンダル。
こんなにも、僕らを支えてくれる靴を蔑ろにして、過ごす時間が楽しくない訳がない。
みなさんも、一度、楽しい時は、玄関の靴を見ていただきたい。
誰が楽しんでいるのか、わかるかもしれません。


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