隙間時間について考える
かなり前「ちょっと」とはひどく曖昧ということを書いたのですが、その後、はたと考えてしまった。
そもそも隙間時間とはなんなのだろう。
自分では隙間時間を利用して、畑に行ったり、ピアノを弾いたりしていたつもりだった。でも、違うのではないか。
隙間時間とは、調べてみた。
「予定と予定の間に生じた短時間の暇、ちょっとした物事に取り組めるわずかな余裕などを意味する語。移動時間や待ち時間などをさすことが多く、勉強や情報収集などを小刻みに積み重ねるといった事柄で用いられる場合が多い。」(実用日本語表現辞典より)
なるほど。つまり隙間時間とは、終わりの時間がはっきりしている時間なんだ。
私は終わりの時間が決まってないから、隙間時間とは言わないんだ。
今更ながら納得。
やってるうちに止まらなくなってしまうからだめなんだ。もともとこれは隙間時間などではなかったし、隙間時間でやるべきことでもなかったんだ。
ならば、生活の中に初めから組み込んでおけばいいんだ。
ピアノは一日30分
畑、庭仕事は1時間。
そして苦手な終わりの時間を守る。
ここまでやったら、だと時間オーバーしちゃうから、時間で区切る。
途中でも、やめる。
よしよしこれでやってみよう。
そうしたら一日24時間、有効に使えるかもしれない。
この年になってまで、時間と上手く付き合えないのは情けないけど、人間は何歳になっても成長できるってみんなよく言ってるから、とりあえず終わりの時間を意識してみよう。