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別な生き方

 別な生き方があったのではないか、と、これまでの生き方を後悔や否定しているわけではなく、これからは今までと別な生き方をしていきたいと思っているという話。

 現在、管理職をしている。教諭だった24年間は転勤などもあって若干の変化はあったが、1年間はだいたい同じ流れ。担任をしている学年によって若干変わる部分もあるが、行事や仕事としてやることはあまり変わらない。
 入学式をすると次は運動会、修学旅行、三者面談をして長期休業へ。という感じで、長くやればやるほど先を見て準備ができるので、「また、この時期がきたか~」という感じで、本当におなじことを毎年やってるな~と感じていた。子どもたちが去年よりも成長している姿を見れたり、新しく受け持った子どもの様々な面を見れたりすることで、自分なりに納得して取り組んでいた。
 もちろんアップデートしているものもたくさんあるし、授業なども勉強したり、研修したりでより良いものを目指した。
 
 しかし、段々と同じことを繰り返していることに、疑問というか退屈さというか、言葉で表現しにくいのだが、気持ちの悪さを感じるようになっていた。
 もともと管理職になりたかったわけではないのだが、別な仕事の仕方をするのであれば、一つの方法と考え試験を受けた。
 管理職1年目は、「何がわからないのか、分からない」という感じでとにかくどんどん動いた。「今年1年は、不平不満を言わずに動く」と決めて、わからないことは質問しながら働いた。新しいことをやっているときは、なかなかの充実感があった。「これも俺の仕事か?」と思うこともあったし、中間管理職としての辛さも感じることもあったが、教諭の最後の頃よりは確実に充実感はあった。(ちなみに、「副校長先生!トイレの暖房便座が暑いんですけど、なんとかしてください」と年上の女性教諭から言われた時は、愕然としました。直しましたけどね。)
 そして、2年目。1年の流れが分かり始めてくると、教諭時代に感じていたあの「気持ちの悪さ」を少しずつ感じるようになってきた。あの頃よりはまだ小さいが、確実に出てきた。

 そこで、頭に浮かんだのが「別の生き方」だった。教師とは別の生き方もしていいのではないかと考え始めている。
 私の年齢では定年退職は65歳になっている。役職定年は60歳。61歳から教諭に戻って、担任や授業ができるかといえば、きっと気持ちが続かないだろう。そんな教師に教えられる生徒も可哀想である。

 現在は60歳の役職定年と同時に退職することを考えている。その後の生き方はこれからの10年間をかけて考えていく。noteを始めたのも別な生き方をする準備の一つ。
 これまで、自分自身を仕事に合わせてきたように思う。自分が望んでいなくても転勤になれば、その近くに住まいを借りて生活し、家族との時間や自分の時間を削ってでも仕事や部活指導に時間を使ってきた。仕事というのはそういうものだ、と言われればそのとおりだが、自分のことは自分で決めたいと思うようになった。

 61歳からの経済的な部分をどうするのか。何をして生きていくのか。自分の望む「別な生き方」はどんなものなのか。心配や不安、分からないことがたくさんある。しかし、ワクワクしている自分もいる。

 役職定年までは10年ほどあるのだが、少しずつ準備を進め、ワクワクしながら別な生き方を目指していきたい。

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