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チェスガルテン創世記【27】

第六章――鷹と狼【Ⅱ】――


「リル坊もトル坊もやりよるなあ。そら、食え食え!」

 明るい声で二人の元に歩みよるケヴァンの手には、焼けたばかりの串肉が握られていた。さっと笑顔を引っ込めて彼を警戒するフェンリルに、同じくこちらへ来ていたエイナルが声をかけた。

「いや本当に、たいしたものだ。我々の集落の者でも、ここまで動けはしない。地の民の戦士を相手に、生き延びたのも頷けるな」
「どうも」

 手放しに誉めたエイナルだったが、ひとみしりを発揮したフェンリルの返事はすげなかった。口数の少なくなったフェンリルに代わり、さっそく串肉に齧りついていたトルヴァがあとを引き継いだ。

「そりゃあ、教える人が違いますって。じいさん容赦なかったもん」
「カザド殿が?」

 ちらとエイナルが視線を配らせると、それまで黙って見物していたカザドが口を開いた。

「トルヴァの敗因のひとつは、一気に伸びた身長のせいだ」

 そう言って串肉を掴む彼の手首を掴み、曲げ伸ばしさせる。されるがままにしていたトルヴァだったが、何かの拍子に悲鳴をあげた。

「いっててて!」
「捻挫しているな。背丈と腕力のつり合いがとれていないから、自分で自分に振り回されて、こういうけがに繋がる」
「――ああ、身体の急成長に色々と追いついていないのか。どうだろう、関節は痛むかい? この辺は?」
「痛い痛い痛い!」
「肩が簡単に外されたのもそのせいだろう。もう少し身体が馴染むまで、あまり無茶はしない方が良いな。脱臼癖がつくぞ」
「わかった――わかったから放してくれ!」

 大人二人に囲まれてあちこちまさぐられたトルヴァは、解放された時には恐怖と痛みで涙目になっていた。

「残りの敗因は?」

 ヘルガが、トルヴァに若干同情めいた視線を投げかけてからたずねた。

「知っていたなら、次はこうならないんじゃないの?」
「おまえぇ……余計な事聞くんじゃねぇよぉ。フェンリルが今後、不利になったらどうすんだよぉ」

 隣で肉を齧っていたボズゥが、ヘルガを肘でこづく。
 ヘルガの皿にパンだけがある一方で、彼の皿にはもう一本の串肉が乗っていた――どうやら二人は、フェンリル達の勝敗を賭けていたらしい。
 そのことに目ざとく気づいたフェンリルが、ぼそりと呟いた。

「――不利になんかならない」
「うえぇっ? いやぁ、そのぉ、変な意味じゃなくってさぁ」

 フェンリルの視線に、ボズゥがしどろもどろに言い訳をする。カザドがふんと鼻を鳴らした。

「まぁ、あえてもうひとつあげるならな、トルヴァよ。フェンリルは、自分よりでかい相手との喧嘩に慣れてる。そもそもほとんどの人間が、こいつよりでかい」

 みんながカザドに注目していたので、フェンリルが目元をぴくりと引きつらせたことに誰も気づかなかった。

「フェンリルは確かに速いし鋭い。だがそれだけだ。チビで軽いから、攻撃のひとつひとつが浅くて決定打に欠ける。だから急所を狙うしか能が無い――懐に入れさえしなければ、充分に勝てたと思うぞ」

 さらにカザドは容赦なく続けた。

「年齢的に、トルヴァはまだまだ背が伸びる。体格も良い。速さはこのまま、上背と重さを活かせばゆくゆくは……」
「それなら確かめてみろよ」

 そこまで静かに聞いていたフェンリルだったが、唐突に遮った。

「なんだと?」
「見物ばかりのそっちはどうなんだ。参戦しようとしないあたり、どうせ大方、足腰がたがきてんだろ。としには勝てないんだもんな」

 腕を組んであからさまに挑発するフェンリルに、カザドが眉根を寄せた。  
 つきあいの浅いケヴァンとエイナルでも気づくほど、フェンリルの声には棘があった。
 カザドはどうも、彼の神経を逆なでしたらしい。フェンリルはカザドを冷たく睨みつけて、わずかに口角をあげた。

「――本当におれが速いだけなのかどうか、わからせてやるよ。おれが勝ったら、年寄りらしく隠居しな」

 凍てつくような瞳の奥で、青白い火花が散っている。それを見たエイナルは呆気にとられた。

(なんと、まぁ……)

 エイナルは、フェンリルという少年に対する認識を、改めなければならなかった。ひとたび暴れるとなれば手がつけられない、狼のように獰猛で執念深い気配がする。

(喧嘩が好きそうなのはトルヴァの方かと思ったが、本当に危ないのはこちらだったか……)

 警戒心が強く慎重に見えていたが、実は誰よりも喧嘩っ早いのかもしれない。

「確かにな」

 一呼吸置いて、カザドが呟いた。

「久しぶりに実力を見る、いい機会かもしれん。――良いだろう、つきあってやる」

 カザドの口の端が、酷薄に持ちあがる。年齢も上背も全く異なる二人だったが、そうしていると血縁ではないのが不思議なくらいによく似ていた。

「いやぁ、これは面白いことになってきたぞ」

 やりとりを見守っていたケヴァンが、わくわくと瞳を輝かせて言った。

「実に面白いことになってきた。良い部位の肉でも賭けるか、エイナルよ?」
「お、いいですね。なら私は、集落に置いてきた秘蔵の酒でも出しましょうか。君らもどうだ? どちらが良い線いくと思う?」

 たずねられた子供たちは、顔を見合わせて沈黙した。

「……おれなら賭けねぇかなぁ」

 ボズゥの冷めた口調に、ケヴァンとエイナルは首を傾げる。するとトルヴァが二人にひらひらと手を振った。

「やめときなよ、おっちゃんたち。賭けは成立しない」
「そりゃ、どういう意味かね?」

 トルヴァはにやりとした。

「勝負になんないってこと」

      *  *  *

「なるほどなぁ」
「これは……ははぁ……」

 数分後、ケヴァンとエイナルは子供たちの反応の意味を目の当たりにした。現在、カザドとフェンリルは距離をとり、相手の出方を見計らっている最中だ。
 ――だが彼らがこの体制に戻るのは、これで三度目だった。

「おい、まだいけるか?」
「――全然、余裕だ」

 首をごきりと鳴らすカザドに対して、フェンリルは歯をむき出しにして吠える。だがその額には、玉のような汗が浮かんでいた。
 彼らは今、構えも得物も異なって対峙している。それは二人が戦闘する前にたてた、互いの決めごとゆえだった。
 ひとつは、手合わせ中にフェンリルが風を操れば敗北とすること。もうひとつは、カザドは素手で彼と対戦することだった。
 カザドが何も持たないことについて、フェンリルは初め、文句をつけた。

「お前ひとりをいなすのに、得物はいらん」

 しかしカザドにさらりと言われて、かちんときたフェンリルが自分に枷をつけたのだった。そうして二人の手合わせが始まってみれば、確かに、勝負になっていなかった。
 開始早々、カザドの懐に飛び込んだフェンリルだったが、すぐに襟首を掴まれて放り投げられた。危なげなく着地したものの、すぐさま重く打ち込まれたカザドの掌底を、もろに喰らうことになった。
 身の軽さが幸いして、動けただけ良かった。けれどフェンリルがどれほど距離を詰めても、足首や手首をいくら狙っても、一撃も与えることはできなかった。
 俊敏に跳びつくフェンリルに対し、地の底より根を張るようにどっしりと構えるカザドは、まるで一頭の大熊だった。
 カザドがわずかに手足を動すだけで、フェンリルの姿勢は容易に崩れて、距離をとらざるを得ない。何を持ってしても動きそうになく、子猫とのじゃれあいに興じている風情さえあった。

「ね?」

 トルヴァが三本目の串肉をたいらげて言った。

「一方的だなぁこりゃあ。リル坊の攻撃を、カザド殿は先んじていなしているようだ」
「手の内を読まれきっている。これは分が悪すぎるな」

 ケヴァンとエイナルが呆気にとられて、渋い顔をした。

「風を使えば、また違うかもしれませんけどね。でも強情だから、一度言いだしたらきかないな」

 トルヴァは指についた脂を舐めとった。

「案外ひっこみがつかなくて、困ってるかも。なんにせよそろそろですよ。多分先手は――ほら、フェンリルだ」

 トルヴァの見立てどうり、先に動いたフェンリルは、まっすぐカザドに突っ込んでいった。
 どうあってもカザドの足腰はびくともしない。
 だというのに、ひとたび動けば拳からも脚からも、それは速くて重い一撃が繰り出される。そしてすでにフェンリルは、息がつまるような一発を胸にもらっている。
 とはいえ――体勢を崩す方法が全くないではない。

(――地面が見えてきた)

 この地は、これまでの場所に比べて雪が柔らかく、少し踏みしめただけで豊かな黒土が顔をのぞかせた。
 普段のフェンリルならまず迷いなくそうするはずだが、それはあまり、カザド相手に用いたい方法ではなかった。
 なるべくなら、フェンリル自身の実力のみで、正攻法の拳と拳で、負けを認めさせてやりたい――しかしこだわり出し惜しんでいては、勝てない相手だということも、よくわかっていた。
 フェンリルは心を決めると、カザドの間合いに入る直前で脚を止めて、ぐずぐずの雪面を思い切り蹴り上げた。 
 カザドは自分目がけて飛散する雪と黒土を、読んでいたかのような素早さで、飛び退ってかわした。だが湿った黒土に足をとられ、わずかに姿勢が崩れる。
 そこへフェンリルの低い足蹴りが、身体ごと雪面を滑ってきた。
 脛に蹴りを喰らったカザドが前のめりになる。その襟首を、フェンリルが掴んで思いきり引き寄せた。

(――ここだ!)

 木剣を、喉元目がけて走らせる。――だが直前、フェンリルは手首をがしりとつかまれた。
 カザドの上体がぐんと持ち上がり、振り下ろされる――重い頭突きを額に食らい、拳を頬に叩き込まれて、フェンリルは血を噴いた。

「うわぁ、いってぇ」
「もうよせば良いのに……」

 顔をゆがめてボズゥとヘルガが声をそろえた。気づいてお互いを、むっと睨みつける。

「あれは、止めなくても良いのか?」
「無理無理。というかやだ」

 血が流れいよいよ殺伐としだす有様に、さすがにケヴァンもエイナルも青冷めたが、トルヴァは首を振った。あんなところに乱入したくはなかった。
 フェンリルは舌を這わせて口内の傷を確かめた。
 噛み切れて出血し、鼻の奥がつんとして鉄臭い匂いがする。だが骨まではいっていない。
 鼻をすすり、口内に溜まった血を吐き出した。

(――問題ない)

 ぎらぎらと目を光らせて対峙するフェンリルだったが、指先が震えるのを感じていた。だが疲弊しているのはカザドも同様であり、次の一撃で決まるだろうと確信する。
 フェンリルは息を深く吸い込み、身体に巡らせた。思えばまだ、手のひらの傷が引きつれている。確かめてはいないが、手の湿り気はなにも、汗のせいばかりではないかもしれない。

(また、ヘルガに怒られる……)

 傷を縫ってくれたヘルガの渋面が思い浮かんだが振り払い、フェンリルは肉薄した。カザドは相変わらずその場から動かず、迎え討つ体勢をとる。
 ――だが間合いに入る直前、カザドの姿勢ががくりと崩れた。


【次話】

【他本編】

これまでとこれからと。

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