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チェスガルテン創世記【26】

第六章――成人の儀【Ⅰ】


 夜が明けると、世界は光さす薄もやの中だった。
 湯だる鍋の中から立ち昇るようにもうもうと、あたり一面湯気が広がっている。川の水が暖かいためだ。
 日が高くなる頃にはおさまるこの川霧は、吸い込めば身を切る程だったが、その日の天候が穏やかになることを告げていた。
 最後の火の番だったケヴァンは、あくび混じりに薪をくべて、火を更に大きくした。そして手際よく肉をさばき、順々に串に刺して焼いていく。
 炙り肉の香ばしい匂いがあたりにただよう頃、目覚めた子供たちがぞろぞろと天幕から出てきた。

「おお、起きたかね。どぉれ、もう少し待っとれよ。いい頃合いのやつをくれてやるからな」

 ケヴァンはまめで世話好きな男だった。誰よりも早くてきぱきと動いて、あっと言う間に食事の様式を整えてしまった。
 そんな彼が特に熱心だったのは、人にたらふく食べさせることだ。

「そら、リル坊。おかわりだ。チーズは? パンは? そら、お茶だ。バターもたんまり入れなさい。なに、いらない? 肉の匂いがきついかね?
 それならほら、香草をたっぷりまぶしたやつと交換しよう。こいつは昨日、肝臓のすり身にも入れたやつでな。これがまた、焼くと一段と香りが良いんだ……」

 寝起きからずっとそんな調子でつきまとわれて、フェンリルはすっかり辟易していた。食の細いフェンリルは、ケヴァンにとって格好の餌食だったのだ。
 初対面の誰かがフェンリルに接すると、大抵彼のそっけなさと口数の少なさにめげて対話を諦めてしまうものだが、ケヴァンには通用しなかった。
 これこそが天命とばかりに、次から次へとフェンリルに食べ物を寄こしてくる。

「ケヴァンおじさん、フェンリルはもうそんなに食えないよ。オレにちょうだい」
「おお、そうだな。お前も食い盛りだものな。そら。他に皿が空いてる者はいないかね?」

 ダインがそう訴えなければ、ケヴァンの攻撃はまだ続いたに違いない。大きく切られた脂滴るバラ肉が刺さった串を見て、フェンリルは心よりダインに感謝した。
 それでも普段より食べさせられたのは確かで、食事が終わる頃にはすっかり腹がくちくなっていた。
 食事を終え天幕をまとめ終えると、とうとうそりのしかけとやらが明らかになった。

「これから面白い物を見せてやろう」

 そう言ってケヴァンはカザドと一緒に橇をひっくり返した。二人が支える橇の底板に、エイナルが熱した長剣をあてがい木づちで数回たたくと、ぱきんと、小気味いい音と共に板が外れる。
 その動作を何度も繰り返しているうちに、二台の橇はあっという間に、もう、その用途を成せないほどに分解されてしまった。

「……これが面白い物?」

 誰もが困惑する中、トルヴァが口を開いた。彼の声の響きを敏感に聞き分けて、ルクーも首を傾げる。

「どうなってるの?」
「橇がばらばらだよ!」
「ばらばらになっちゃった!」

 そろって声を上げる兄妹を見て、エイナルがにやりとした。いたずらな企みを持った笑顔のまま、彼は外した板を順番に並べていった。
 そして懐から金属製の入れ物を取り出し、中に入った粘性のある飴色の液体を、刷毛はけを使い木の板に塗っていく。その後はカザドとケヴァンとエイナルの三人で、液体の塗られた面同士、枠同士を、ある一定の法則性に則り組み合わせていった。
 最後に鍋やたらいで集めた雪を、まんべんなくまぶして払って、出来上がった物を川に放してやる。

「船だ!」

 ダインが歓声をあげて飛び跳ねた。出来上がったのは一隻の船だった。
二台分の橇で造られたその船は帆柱を備え、その場の全員が乗り込み、積み荷を載せてもまだ余裕があるように見えた。
 不思議なのは組み木とは言え貼り合わせたばかりの木と板が、川に放してもびくともしないことだった。

「沈まないのが不思議だろう?」

 エイナルが先程の入れ物を見せた。

「秘密はこれだ。これは外気にさらされると張り付き、冷やすとより強固に固まる。熱すると剥がれてしまうから、塗り直す必要があるが、組み木が加工しやすいんだ。多少の隙間も問題はない」

 饒舌に語るエイナルを尻目に、子供たちははしゃいで船に纏わりついた。しっかりと川に浮かぶナラの木の船は、確かに少々のことでは壊れそうにない。

「さあて、出番だリル坊! よろしく頼むぞぉ」
「――は?」

 ケヴァンが期待の眼差しで拝みだしたので、フェンリルは戸惑った。

「なに……出番って、なにが?」
「追い風があればなお、進みが早い。この帆に風を集めて進ませろ」

 戸惑うフェンリルに、カザドが船の帆を差して命じた。フェンリルは、カザドが集落でこの乗り物を目にした時には、既にこの事を算段していたに違いないと気づいた。
 ――つまりはこれより先の旅路において、風使いのフェンリルをこき使うことをだ。

「おれに何もさせなかったのは、この時の為か」

 合点のいったフェンリルがねめつけると、カザドは鼻で笑った。

「お前のすかしっ屁なんざ、こんな時くらいしか使い道が無いからな。そらいけ、やれ」

 しっしっと、犬を追い払うような仕草で促がされて、フェンリルは頭にきた。風使いなど何の役にもたたない――それは誰よりもフェンリル自身が常々思っていることだが、カザドに指摘されるのとでは訳が違った。

「おれを、なんだと思ってやがる。このっ……」
「せっかく体力を温存させてやったんだ。せいぜい皆の役に立て」

 背中を叩かれたフェンリルの足元では、さっそく、彼の苛立ちに呼応するようにつむじ風が渦を巻き始めていた。
 人間に馬、狼たちと積み荷。すべてが船に乗り終えたのを確認してから、フェンリルは言われた通り、風を呼び込んだ。
 帆が音を立ててたっぷりと広がり、船のまわりだけ、台風の中心であるように霧が晴れる。追い風を受けた船は、霧を押しのけるように下流へと向かって進み出した。  
 ――しかし好調な船出とは言えなかった。歓声が上がったのは一瞬で、すぐに悲鳴と不満の声に変わったのだ。
 あまりに勢い良く船が進みだした為、全員がその場で転倒し、身体のあちこちをしたたかにぶつけたからだった。

      *      *   *

 船は、揺れに揺れた。子供たちは振り落とされないように船体や積み荷にしがみつき、大人も岩石や川岸にぶつからないよう、必死に舵取りをする。
 だが右へ左へと大きく傾く船に、皆もれなく気分が悪くなり、最初の一日は早々に、川の流れのみに任せるのが一番だと判断された。
 だいたいフェンリルとて、船のような大きな物に風を纏わせ操るなんて芸当、やったためしがない。当然と言えば当然の結果だった。

「役立たずめ。いつも無意識に纏っていながら、いい塩梅ってものがわからんのか」
「じゃあやってみろ」

 カザドとフェンリルはぎすぎすと睨みあった。結局フェンリルがいい塩梅とやらを掴むまでに、それからたっぷり三日はかかった。
 彼らは時に陸路もいった。生き物がいる以上、ずっと船の上という訳にもいかなかったのだ。何より船は大勢が寝泊まりするような造りではなかった。
 身動きが取れず苛立つ馬を駆り、狼たちを引き連れて狩りをすることもあった。日が暮れれば川べりに天幕を張り、日が昇れば川を下る日々が続いて五日目の昼。その日の野営場としてつけた川岸は、それまでと様子が異なっていた。
 雪こそ積もっているが合間に黒い土壌がのぞけて、太い幹を持つ木々が増えてきている。少し探せば容易に獣の足跡も見つけることができた。
 漂う空気も、きんと研ぎ澄まされたようなものではなくなってきている。湿りけのある土や、滲む露に濡れた葉っぱの匂いが混じり、雪風は穏やかだった。
 どこかしら、人の営みの気配がした。目的地まではもう、そこまで遠くないに違いない。   
 ケヴァンが作る食事の完成を待つ間、フェンリルとトルヴァが、どちらからともなく手合わせしだした。これは互いの調子を確認し合う、他愛ない取っ組みあいのようなものだ。
 だが気づけば、二人のまわりには見物人が集まっていた。命の獲り合いとは違う若者の手合わせは、誰にとっても最高の娯楽だったのだ。

「トルヴァ、下! 下から来るよ!」
「フェンリルぅ、捕まるぞぉ、距離とれぇ!」
「どっちもがんばってー」
「やっちゃえ、やっちゃえ!」
「がんばれー!」

 互いに打ち込む二人の手足には、次第に熱がこもるようになっていた。彼らの一挙一動に野次が飛び、歓声が上がる。
 こうなるともはや、勝敗をつけずには終われなかった。

「――前はどっちが勝ったっけ?」

 足蹴りをくり出しながらトルヴァが聞いた。フェンリルは彼の力強い突風のような蹴りを受け流すと、いくらも考えることなく断言した。

「おれ」
「即答かよ! よく思い出せっ、実はおれじゃないか?」

 続けて蹴りを叩き込もうとするトルヴァの長い脚を俊敏にかわして、フェンリルはうっすらと口角を上げる。

「いいや――おれだったね」
(――あ、ヤバい)

 どこか凄みのあるフェンリルの笑顔に、トルヴァは背筋がゾクリとした。こういう時のフェンリルは危険なのだ。
 触れれば裂け切れる、かまいたちのようになったフェンリルを、突き飛ばすつもりで掌底する。しかし手のひらはくうを貫いた。

「うぅわっ」

 トルヴァはぎょっとした。フェンリルは、突き出されたトルヴァの腕を支えに低く跳び、その懐めがけて足蹴りをくり出してきていた。
 あいている方の腕で受け止めたトルヴァだったが、フェンリルはその腕を軸に身体を回転させ、もう一撃回し蹴りを放った。
 側頭を綺麗に蹴飛ばされて、とうとう、トルヴァが膝をついた。

「……そんなん、ありかぁぁ?」

 ぐわんぐわんと激しく揺れる頭でうなだれると、すっかり汗みずくで、額からも首筋も雫が垂っていた。周囲でどっと歓声が上がっていたが、顔を上げる余裕はなく、雪の上で大の字にひっくり返る。
 そんな彼の元に、降り注ぐ日の光を遮りながら、フェンリルが近づいた。

「ほらな。おれの勝ち」

 上気した清々しい頬笑みで勝ち誇るフェンリルを、トルヴァは小憎たらしく思いながら見上げた。
 トルヴァでこれなのに、フェンリルの方は汗ひとつかいてやしなかったのだ。

「どう動いたら、ああなるんだ。身軽すぎだろうがよ」
「トルヴァは的がでかいから、捕まえやすいんだよ。あんまり食わなきゃいいんだ。身軽になる」
いやだね、食うもんね。人を物干しか何かみたく使いやがって。こうなったらおれは、誰よりもでかくなってやる。……あーあ。負けた、負けた! ちくしょう!」

 二人は声をたてて笑いあった。この数日、何かと落ち着かないことばかりで、常に皆どこかぴりぴりしていたが、今は心よりくつろげた。
 まだまだ若く幼い彼らにとって、気の知れた仲間との他愛ないやり取りこそ、なににも勝る最良の薬だった。


【次話】

※もう少々お待ち下さい!

【他本編】

これまでとこれからと

【らくがきとか】

登場人物のらくがきとかワンシーンとか。

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【カクヨム】

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