チェスガルテン創世記【15】
第四章――襲撃【Ⅰ】――
太陽はもうすっかり真上に昇っていた。
あの豪雪の数日はやはり、最後の冬の名残だったのだろう。雪が降る気配はなく、積雪は体温で簡単に湿り気を帯びるものとなっていた。
そんなわけで、そろそろ尻が冷たくなり始めていた。
(腹減ったな)
トルヴァはぼんやり考えた。
朝食のスープは大変薄くて、腹にはたまらなかった。全員に行き渡るように薄めたので、ほとんど水と言ってよかったのだ。
空腹に慣れているとはいえさすがにもう、元気が出なかった。
(夕方と言わず合流していれば、今頃あの兎を食ってたかな)
彼らが狩った兎は今、まとめて無造作に放られていた。茶黒の毛玉は全部で三羽だ。
トルヴァが獲った分が一羽、ダインが獲った分が二羽。
(焼いたやつにかぶりつけたらなあ)
焚火に滴り落ちる脂の匂いを想像すれば、たまらずじわりと口内に生唾が滲み出た。
口の端から垂れる前に生唾を飲み込む。するとより一層、トルヴァの腹の虫がそろそろ何かよこしたらどうだと、切なげに訴えてくるのだった。
「……腹、減ったよなぁ」
そんな腹の虫に媚びるように、ボズゥが言った。
「今度ヘルガと喧嘩しても、おれはもう、かばってやんねえ」
へらへら笑いを浮かべるボズゥを睨みつけて、トルヴァは言い捨てた。情けなくうなだれるボズゥだったが、同情はできなかった。
トルヴァも利き腕の肩を外された上に縛られているので余裕は無い。何より、こうなった原因を作ったのは他でもないボズゥなのだ。
四騎の騎馬は確かにひたすら真っ直ぐ、山道を駆け抜けていた。しまったかた雪とはいえ、騎馬は惚れぼれするような脚の強さだった。木々が切り倒され開けている山道でも、ここ数日の豪雪でかさが増しているのに。
商人や護衛にしては妙ではあったが、少なくとも山の中に分け入ってくるような様子は無かった。ひとまず危険は無いと考え、このまま黙って見送ろうとした時だった。
地の民の騎馬が、トルヴァ達の潜む山峡の目前に差しかかったその時、ボズゥが弓を引き絞ったのだ。
一瞬のことで、狙いを定めていたかどうかはあやふやだ。トルヴァが思わずボズゥの腕を掴んだ瞬間矢は放たれて、あっと思った時には、先頭を駆ける馬の体に突き刺さっていた。
高い嘶きをあげてもんどりうつ騎馬から、乗り手が転げ落ちた。
そこからはあっという間だった。
襲撃を受けた地の民たちの判断は早く、まさかの事態に茫然としてしまったトルヴァたちの判断は遅かった。
素早く立ち去りフェンリル達と合流するか、ここでこのまま応戦するか。
ボズゥは応戦を選び、トルヴァはダインを逃がすことを優先し、その
結果二人は捕まったのだった。
(ダインは逃げれたかな……)
自分たちをあっさりと縛り上げた相手を、トルヴァは観察した。
相手は四人の地の民だった。なめした革製の黒っぽい外套と房飾りのついた、これまた革製の帽子をかぶっている。腰には長剣を携え、こちらにはわからない言葉で何ごとかを話し合っていた。
四人のうち一人は山道を駆けていき、もう一人はトルヴァとボズゥのすぐ側に立っていた。
残りの二人はトルヴァ達よりも距離を取り、こちらを窺いながら今も、ひそひそと話しあっている。多少の差異はあれど、どちらも地の民特有の黒い瞳に浅黒い色の肌をしていた。
(あれはきっと古い言葉だ)
彼らの言語はトルヴァにもボズゥにも理解できなかった。天の民の古語と同じように、地の民だけ伝わる言葉があるのだ。どちらにもわかる共通の言語で話さないあたり、何らかの企みめいた物を感じ取れた。
なんにせよ、トルヴァにとってもボズゥにとっても嬉しくない内容であることだけは察しがつく。
「……こいつら多分、女神の戦士ってやつだぜぇ」
「はぁ!?」
ボズゥの呟きを聞いて、トルヴァは思わず上ずった声をあげてしまった。
すると背後に控える地の民が、トルヴァの腰のあたりを蹴飛ばしてきた。
「いってぇ!」
外れた肩に振動が響いて、たまらずトルヴァは頭を雪に押し付けた。
自由の利かない状態での苦痛はどうしようもない。歯を食いしばり、姿勢を立て直して相手を睨みつける。
肩越しに見上げた地の民は、無言で何か手ぶりをしてみせた。
「うるさい」か「黙れ」と言うことらしい。自分を見下ろすこちらの地の民は肌の色こそ他の二人と同じだが、若干明るい色の眼をしていた。
共通しているのはみな一様に冷ややかな表情であることだろう。そして、何か統率がとれている。これまで遭遇してきたどの地の民とも違う異質さだった。
トルヴァは視線を逸らすと、ボズゥににじり寄って小声で問いかけた。
「女神の戦士ってあれだろ、歌にも出てくる、すんごい強い奴らだろ? 間違いじゃないのか」
「……奴隷であちこち連れ回されてた頃さぁ、でっかい建物の前で立ってんのが、こんな感じの格好してた気がするんだよなぁ」
「なんだよそれ。曖昧だな」
「ほら、こいつらなんかさぁ、妙な雰囲気だろぉ。笑ったことあんのかな? って感じがさぁ……そん時見た奴と似てんだよなぁ」
女神の戦士は地帝と帝国を守るために戦う剣であり、盾であり、手足である。彼らは遠い昔女神と共に天王と戦い、多くの天の民を葬った存在だ。
女神の娘たちに代々仕え、必要に応じて戦に出むく。そんな話を集落の大人たちや老人から、伝え聞かされてきた。
そして皆、最後には必ずこう言っていた。
(女神の戦士から逃げおおせた者は、一生の運を使い果たす……)
つまりそれだけ、無事でいられた天の民が少ないのだ。
トルヴァの全身の毛穴から、ぶわっと汗が噴き出した。
「お前何だってそんな奴に、喧嘩ふっかけてんだよ……!」
「だからぁ……ごめんってぇ……ふざけて構えただけだったんだよぉ……」
「構えただけってお前な! 人にあんな話しといて、なんで警戒されないと思ってんだよ!」
再び、背中を蹴られた。
トルヴァは雪に突っ伏して唸る。
「~~もう!」
憤懣やるかたないとはこの事だった。
この手が自由だったなら、すぐにでもボズゥを羽交い締めにしてやるところだ。
(てか、なんでそんな奴らがこんなところに?)
トルヴァは雪で頭を冷やしながら考えを巡らせた。
確かに地の民たちがやってきた先には帝国がある。しかしトルヴァ達が居座るところは、山を越えてからもまだ距離があったはずだ。
(なのに戦士がだけがここにいるって……まてまてまて!なんかヤバいんじゃないか?)
『気づかれてからじゃ遅いんだよ』
フェンリルの言葉が思い出された。
トルヴァは歯ぎしりし、痛みを堪えて身体を起こした。
「お前のせいだぞ!」
「えっ、うわあぁ!」
そのままボズゥ目がけて体当たりをかましてやった。ボズゥも縛られているので、当然二人は倒れ込む。
地の民が何ごとか叫んでいるが、気にせずトルヴァはボズゥの耳元で囁いた。
「――おいボズゥ。こいつらおれ達でどうにかするしかないぞ」
「どうにかってぇ?」
【次の話】
【小説まとめ】
【こちらでもう少し先が読めます】
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【登場人物のらくがきとか】
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