安倍晋三が死んだ日 二

 日本の憲政史上、最長期間の内閣総理大臣任期を務めた安倍晋三という人物を、私が知ったのは、小学生のとき。その頃の私は、ようやく特撮番組やアニメを見るのを「卒業」して(また戻ってくるのだが……(笑))、字だけの本を読み始めたような時期で、安倍晋三は無論まだ総理大臣ではなく、確か小泉内閣の官房長官を務めていた。
 私にとっての安倍晋三は、まず何よりも「小泉総理の後継者の最有力候補」として、テレビの中に現れたのだ。
 良い印象を、抱きはしなかった。
 私の父は、小泉政権に対して反対する立場の人だった。選挙の前には必ず、民主党(当時)への投票を家族に頼んでいた。小泉政権の後継者として報道されていた安倍晋三氏に対して、彼はもちろん、良い印象を抱いていなかったから、その影響を、私も受けていたかもしれない。
 それに私はひねたガキで、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」などを、小学生の頃から、おそらくはろくに内容も理解姉弟で読んでいた。小林よしのりはもちろん、小泉純一郎に対しても批判的だったから、その後継者である安倍への印象が私の中で悪くなったのは、このせいかもしれない。
 つまり私は、小泉純一郎に対して、まず悪い印象を抱いていたのだ。安倍に好感を抱く理由がない。
 とはいえ、実際、あの頃の安倍晋三という人には、人を引き付けるようなオーラなど、特になかったように思える。メディアを通じてみれば、という留保付きだが。この点、良くも悪くも、大衆を沸かせる技術に優れた小泉純一郎とは対照的だった。
 実際、第一安倍政権が、惨憺たる有様に終わってしまったのは、当時を覚えている人ならば、よく覚えているはずだ。相次ぐ閣僚の不祥事・失言によって、「初の戦後生まれの総理大臣」によって率いられた第一次安倍政権に対する国民からの支持は低迷し、2007年夏の参議院選における、小沢一郎率いる民主党の勝利と自民党の敗北へとつながったが、そこに至る原因の多くが、あの頃の安倍晋三という人の持つ発信力の弱さに由来したものであることは、明らかだろう。
 総理就任からわずか一年にして、安倍晋三はその職を辞した。その辞め方にさえ、批判が巻き上がった。腸の難病が理由だったわけだが、病気の詳細について、国民に対して情報の公開が不十分だったというのが、批判する人たちの主張だった。
 当時の私は、中学生だったが、子どもながらに「安倍という人は情けないなあ」という呆れた気持ちと「まあこの人はこんなものか」という納得する気持ちを覚えたのを覚えている。小林よしのりを読んでいたことからもわかるように、少年時代の私のイデオロギーは右翼寄りだった。今となっては黒歴史を開陳するような恥ずかしさがあるが、「ウヨっていた」当時の私の目から見れば、安倍晋三という人には、どうも「強さ」を感じなかったのだ。
 まず、外見が弱そうだった。
 ウヨったガキが憧れて、熱烈に支持するのは、軍人のような男だ。安倍晋三には、そういう強さを感じさせる雰囲気が欠けていた(あの頃の私が今中学生だったら、熱烈なトランプ支持者になっているであろう自信がある)。
 にも関わらず、安倍晋三という人本人は、自分を「保守の政治家」「外国に対しても毅然とした姿勢で日本の立場を主張する」として、アピールしていた。「美しい国へ」という本も出していたほどだが、いざ政権を担ってみると、靖国神社には参拝せず、中国や韓国、北朝鮮に対しても、総理になる前に言っていたほどには、「ガツンといってくれてはいない」……ようにみえた。バカなガキだった私の目には。とはいえ、第一次安倍政権の参議院選挙での無惨な敗北は、本来彼を支持していたであろう「右寄り」の人たちの失望も、大きな理由の一つではあったと思う。
 安倍が退き、穏健さを売りにしている福田康夫が総理となった。この時点で、私は「もう安部さんは、総理にはなれないだろうな」とぼんやり感じたのを覚えている。これから政治的に復活を果たすとは、到底思えなかったからだ。この予想は外れたけれど、当たってくれていた方が、安倍晋三という人には、良かったと思う。当時、つまりは第一次安倍政権が倒れた直後に読んだ週刊誌に、安倍昭恵夫人のインタビューが載っていた。それは確か、こんな言葉で締められていた。
「生まれ変わっても、また主人と結ばれたいと思っています。でも、政治家でない人になっていてほしいですね」
 もしも、第一次安倍政権が失敗に終わった時点で、政治家を辞めていれば、、殺されることはなかっただろう。
 だが、安倍晋三は、政治家を辞めるという道を、一度も選ばないままに、生涯を終えた。
 私は、安倍晋三という人に、生きている間は一度も、会って話したことはない。だから、彼が本当はどんな気持ちで自分の人生を生きていたのかを、私は知らない。安倍晋三は、高潔な気持ちで政治家をやっていたのかもしれないし、ただ政治家の一族に生まれてしまったから、それ以外に自分が生きていく道を、知らなかっただけなのかもしれない。ただ一つ確かなのは、もしも政治家の一族に生まれなければ、安倍晋三という人は政治家に成れた可能性は、かなり低かっただろうということだけだ。
 その意味で、安倍晋三という人は、未だにあらゆる領域において、前近代的な「世襲」という仕組みを残している日本社会を象徴しており、先の大戦での敗北を受けて表面上は生まれ変わったように見せながら、実態としてはいまだに「古い」部分を残した「戦後日本」というものを象徴していたのかもしれない。
 今更解説するまでもないかもしれないが、安倍晋三は、戦後日本を象徴するような家に生まれた。彼の母方の祖父、岸信介は、東条英機内閣の閣僚であったが故に戦後「A級戦犯」として逮捕されたが、巣鴨を出て(GHQと取引したという噂もある)、CIAの支援を受けて政権を担ってきた自民党の一員となり、総理大臣となって日米安保を改定した。「反共」という目的のために統一教会と接近し、結果的に孫の暗殺の遠因を作ってしまったのは、今や誰もが知っていることだ。岸のやったことについては、賛否両論ともにあり得るだろうが、彼の人生が「戦後日本」の象徴であることに異論がある人はいないだろう。先の大戦に敗北し、連合国に占領されて新憲法を「押し付けられ」ながらも、自国が犯してきた加害についても、自国が行った戦争の大義についても、戦争を行った体制の責任についても、十分な反省なり総括なりをせずに、アメリカの同盟国として反共陣営の一員となることで経済的繁栄を享受してきたのが戦後日本という国家を、岸信介と彼の「家」は象徴しているように思える。
 岸信介の孫である安倍晋三の第一次政権の敗北は、政治的な混乱の始まりだった。福田康夫内閣もまた、一年という短期間で退陣し、その後に成立した麻生政権もまた、国民からの支持は得られず、2009年の衆議院選挙における民主党政権への政権交代に至る。
 民主党政権が誕生した頃の「時代の雰囲気」というものを、私は今でも思い出すことができる。はっきりいって、高揚していた。もちろん、民主党を批判していた人もいる。ただ、全体的な気分としては、その直前までの自民党が酷すぎたのもあって、というのもあるが、「政権交代」というイベント自体に、国全体が熱狂していた記憶がある。それは、多分に「幻想」も含まれたいたように思える。日本という社会の至る所にこびりついた「垢」のような旧弊な部分にうんざりしている人たちにとって、政権交代は、それを洗い流し、燃やしてくれるようなものだと、思えたのだと思う。宇野常寛の言葉を借りるならば「政権交代すれば、日本は良くなるのだというのが、戦後日本の最後の神話」ってことだ。イギリスやアメリカのように、定期的に政権交代が起こる二大政党制の国となれば、日本は真に先進国と呼ぶにふさわしい国へと、生まれ変わるのだと、まあ勉強ができて意識が高い人ほど、信じてしまった時代があった。
 で、そういう「時代の熱気」の中では、安倍晋三っていう人のことは、申し訳ないが、意識から消えていたね。また自民党政権が生まれるなんて、あの頃は考えもしなかったし、ましてや体調の問題で総理を辞めざるを得なくなった人にまた復活のチャンスがあるなんて、少なくとも私は予想していなかった。あの頃はほんと、もう自民党なんてオワコンだ!くらいのムードだったと思うよ。自民党に象徴される、古い日本とはおさらばだ!ってな。
 これから日本は、どんどん良くなる!と、信じた人は、少なくなかったはず。
 2011年の東日本大威震災で、そんなムードは消し飛んでしまったけどな。
 まあその前、つまり震災時の菅直人政権の前の鳩山由紀夫政権のごたごたの時から、暗雲ってのは垂れこめていたけど、あの震災と、それから原発事故は、とどめを刺した気がするね。民主党政権に代表される、「変革の希望」ってやつにね。
 私さ、311のほんとに数日前のぎりぎりの時期に出た「朝日ジャーナル」って雑誌の特集タイトルを覚えているんだけどさ。「日本破壊計画」ってタイトルだったのよ。もちろん、「古い日本のレジームをいかにぶっ壊すか?」っていう意識高い特集だったのだけどさ、まだ震災が起きる三日前くらいの時期は「日本には、まだ破壊できる余地があるor何かを破壊できる余力がある」って認識が、あったわけ。意識高い人たちの間ではね。311っていう、比喩的な意味ではなくほんとに物理的な大破壊が到来した結果、たちの悪い冗談みたいなタイトルになってしまったけど。
 震災と原発事故は、まじで戦後日本ってやつがこれまで見ないふりをしてきた諸々を突き付けたよね。東京をてっぺんとする日本の繁栄を支えている原子力発電を、福島県っていう地方に押し付けて成り立ってきた構造。その福島の人たちを差別する日本人の精神のいやな部分の露呈。実は震災前から、東北地方ってのは過疎化をはじめ、いろんな問題を抱えていて、震災はそれにとどめの一撃を食らわせたって側面も多分にあったのだけど、これは日本という国全体にも言えて、大体90年代の不況の時期くらいから「日本やばいよ。変わらなきゃやばいよ」って意識を頭の良い人たちが持ち始めて、国全体であがいてきた。平成になってから、政治の世界で叫ばれている言葉って「改革」ばかりだったよね。で、その「改革」の一つとして日本人が選んだのが民主党政権への政権交代で、そこでもいろんなごたごたが発生したけど
「ま、最初からうまくはいかないでしょ。のんびりしてちゃだめだけど、根気強くやっていこうよ」
 と日本人が思っているときに、震災がドカンとやってきた。
 これが私の歴史認識。
 こうして書くと、わかりやすいんだよな。
 戦後日本を象徴するような自民党・安倍晋三的なものってが、一度敗北して、これから日本は変わっていくんだな、て雰囲気になってきたところに311がドカンとやってきて、それでまた「古い」自民党・安倍晋三的なものが、もう一度「政権」っていうバッターボックスに戻ってくるっていう構図

 2012年冬の解散総選挙は、自民党の勝利に終わり、安倍晋三は再び政権へと返り咲いた。以後、2020年まで、「安倍の時代」が続いた。
 
 
 

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