人生ランダム
おはようございます☀
昨日の夜から嬉しいお電話をいただき幸せで「ありがとうございます」が溢れた日でした。
今日は、人生っていつもランダムというお話をしたいと思います。
親はこれまでの人生で味わったさまざまな苦労や困難を自分のかわいい子どもだけにはしてもらいたくないと思っている。
だから、子どもの環境とか友人関係、学校、企業
生涯にわたって安心できる豊かな生活を送ってもらいと思い
親なりの相応の努力を惜しまない。
しかし、そういう親に育てられた子どもはどうでしょう?
いつも違和感を覚え、親に対して知られたくない場所と時間を隠し持っている。
深く悩んだり、時差つを考えていたりする。
またゲームやギャンブルがやめられない…。
人生をいっさいのストレスのない完璧なプロジェクトにしようとしても無理。
確執や金銭問題もだらしなさもないような完璧に清廉潔白な生き方などありえない。
それと同じように、平和で豊かでみんなが安心して暮らせる安全な世界などもありえない。
たぶん、かなりの多くの人は、自分がしてきたこと、味わってきたことを振り返って反省し、
ああしなければよかった
あの時は選択をまちがえた
などと自省し、それがなければ今はもっと豊かであったろうにという考えをするでしょう。
そういう過去があったからこそ今また生命を保っているというふうには考えない。
計画通りに物事が運ぶことは絶対にない。
人生のランダム性は理不尽でも不条理でもない。
現実だからだ。
理不尽や不条理は、人間の頭が考えたこと。
わたしたちが規則的な文法のある言葉を使う以上、わたしたちの頭はどうしても論理で考える癖がある。
その論理からはみ出すものを理不尽とか不条理と罵倒的に呼んでいるにすぎない。
それに比べて乱暴で野卑に見える人たち
彼らは自己本位で、その場しのぎの生き方をしている。
彼らの人生は危険なランダム性のてんこ盛り。
それなのに、まじめに銀行などに勤めている人よりもずっといきいきしている。
そのランダム性とたわむれている。
だから、頭で考えることに重きを置かない。
結果、彼らのの使う原稿も文の論理を無視している。
そういう人とたちは人生においてタフだ。
偶然や突然にさらされているから
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生き方に正解なんでものがないから、苦しいときも、楽しいときもランダムにある。
私はこれといったやりたいこと、夢は今のところない。
しかし、わからないから行動、動くことをやめなかったら
タイミングで、なにか起きること
とても嬉しいことが起きること
これからの自分の使命を見つけられた。そんな昨日。
ありがとうございます。
結局
自分がいきいきと生きれば
人生はいきいきと輝く意味に満ちる。
暗く生きれば、真夏の昼であっても
世界には暗雲が垂れ込めるだろう。
おしまい。
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