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#14 鴨川を挟んであった嬉しい出来事

2023年11月4日。
11月の3連休の中日。
他人にしてみたら「なんや、そんなこと」と一笑に付すだろうけれど、自分にとっては嬉しい出来事が二つあった。

一つ目。
日中は、改めて思い出そうとしても何をしていたか思い出せないような過ごし方をしていた。
このままだと今日という日が、ご飯を作って食べただけの怠惰な1日になってしまう。それでは申し訳ないと、時刻は夕刻に迫っていたが、連れ合いを散歩に誘った。

取り敢えずいつものように高野川を南下した。ノープランで家を飛び出したので目的地なんて無い。
歩きながら何処へ行こうか思案していると、賀茂大橋を過ぎたあたりで、ちょっと前に連れ合いがSNSで見つけた『真夜中のおやつ』という古民家カフェのことを思い出した。

カフェでお茶ついでに焼き菓子でも買って帰ろう。
ひとつ目的を作った私は、「今日の“おみや”、『真夜中のおやつ』にしよう」と連れ合いの手を引いて歩いた。
(因みに“おみや”というのは、自分たちへのお土産のことである。散歩ついでに何か甘い物を買って帰ることをそう呼んでいる。)

川端通り沿いに置かれた控え目な看板。
お店自体のロケーションは『隠れ家的』だ

この日は曇天だった。
引き戸を開けお店に一歩踏み込み、女性店主から「こちらでお召し上がりでしょうか」と訊かれた刹那、反射的に「いいえ、今日はお持ち帰りで」と答えていた。
なんとなくこの店で初めてお茶をするのは、今日みたいな曇り空ではなくよく晴れた日がいいと思った。
根拠なんてない、ただの直感だ。

吟味の末、焼き菓子を3つ選び、テイクアウトすることにしました。

焼き菓子は家で呼ばれました。
美味しかったです

お店を出て川端通りに出ると、何やら府立医大の方から風に乗って騒がしい音が聞こえてきた。バンドの生演奏とそのヴォーカルだった。
文化祭でもやっているのだろうか。
ちらほら白い簡易テントも見える。
様子を確認しようと、西から東へ信号を渡り、鴨川の河川敷に降りようと階段の中腹に差し掛か時だった。
連れ合いの名を呼ぶ声がした。

「○○ちゃん!」

実を言うと私の方は気持ちが鴨川と音楽の出所に逸っていたので、その声に気が付いていなかった。
ただ、連れ合いの耳にはその声が真っ直ぐ届いたようで、同時に声の主が誰かも探り当てていた。

「お父さん!」

彼女の声で振り返り、川端通りを仰ぎ見ると、丁度義父と連れ合いの邂逅の瞬間だった。

聞くと、ホームカミングデイという同窓会のようなものがあり、義父はそれに参加するため京都大学まで来ていたとのことだった。
これから鴨川を挟んで対岸にあるホテルに移動し、仲間と一泊することを楽しそうに語ってくれた。
喜寿を迎えてもそのような仲間がいることを想像してみた。何と素晴らしいことだろう。

義父は京都市内ではないが京都府下に住んでいる。月に約1回程度のペースで顔を見せるようにしている。
何なら来週は近所の中華で食事の約束もしている。
その気になれば、1時間半あればいつでも会える人。

ほんの数分間だったけど、約束もなしに偶然に出会い、秋色めいた鴨川の遊歩道を共有できたことが嬉しかった。
束の間の邂逅。
風で桜の葉が舞う中、『父と娘』の笑顔を眺めていた。

夕刻から散歩に出たこと。
『真夜中のおやつ』に寄って、店内で飲食せず気まぐれでテイクアウトを選んだこと。
一つでも違った選択をしたら、半径何メートルという近場にはいるものの、お互い顔を合わせることがなかった。

――様々な偶然が生んだ出会いに感謝。

これが一つ目。
ね、どうってことないでしょう。

続いて二つ目。
義父が川向こうのホテルに辿り着いたのを見届けた後、喉が渇きはじめていた我々はとあるカフェに寄ることにした。

その店は住宅地にあり、自家焙煎コーヒーに手作りのフードとスイーツが評判で、店内は天井が高く開放的で居心地の良いカフェとして京都では名の知れたカフェだ。

チーズケーキとホットコーヒー

こちらのブレンドコーヒーは、深煎りで後口のキリリとした苦味が我々夫婦の好みで、特に私ここのアイスコーヒーは私にとって至高の逸品である。
今これを書いているのは会社の昼休みだけど、これが仕事中に飲めたらどんなに仕事が捗るだろう思う。

さて、単に喉が渇き、コーヒーの味が好みという以外に私がこの店を訪れるのには理由がある。
実は前にここの店主にお世話になったことがあり、お店に伺う度にその時のお礼を伝えたいと常々思っていた。

だがここは人気店。
行くと必ず店主の人柄を慕って集まる常連さんが居て、カウンター越しに盛り上がっているので、コミュ障を拗らせている私には割って入って声をかけるなんてもっての外、来る度に忸怩たる思いを抱えていた。
案の定この日も子連れのお客さんがカウンターに座り、店主と会話を楽しんでいたので、今回も話かけるのは無理だと半ば諦めていた。

しかし、会計のタイミングで丁度取り巻きが去り、私はようやく店主に話をするチャンスを得た。

「あの、昔、10年くらい前ですが……」

「え、あ、はい」
会計の途中に、不意に話しかけられて訝しむ店主。

「鴨川の河川敷で4チームくらいが集まって週末にフットサルを……」

「え、はあ」
表情から、私が何を言おうとしているのか必死に想察しようとしてくれていることが分かる。

「私は、その中の1番弱小のsiestaシエスタというチームにいた者で」

「……siesta」
siestaというワードが、彼の記憶を手繰り寄せることに成功したようだった。
訝しむ様子から態度が軟化し、少しホッとしたような笑顔を見せながら彼は続けた。
「今さ、10年前って言ったけど、あれ20年前だよ」

「20年……、そんなになります?」
10年と思い込んでいたところに20年という指摘をされ、今度は私が怪訝な顔をした。
確かに10年は少なく見繕ったかもしれない。それでも店主の言う20年は言い過ぎだと思う。
そうだ、間をとって15年ということにしよう、と私は自分の中で折り合いをつけた。

というか、何年昔の話なんてどうだっていい、そんなことを確かめるために勇気を出して声を掛けたんじゃない。
私は意を決すると、

◯◯店主さんのおかげで、みんなで集まって、楽しくフットサルが出来て、ずっとお礼が言いたかったです、ありがとうございます」

と言った。ようやく言えた。よう言った自分。
これが伝えたかったのだ。

当時、不定期だけど月に2回くらい、府立医大の学生さんチーム、『カフェアンデパンダン』の店員さんと藤井大丸の地下食品店に勤める店員さんによる合同チーム、木屋町のバー『cafe la siesta』の常連とその仲間の寄せ集めチーム、あとはゲストだったりその場のノリで急遽結成されたチームの4チームが鴨川の畔に集まり、フットサルをした。
そしてその4チームを取り仕切ってくれたのがこちらの店主で、皆の良き兄貴分という感じで毎回集まる大学生から社会人20〜30人の面倒を見てくれた。
そんな大所帯に、当時『cafe la siesta』の常連だった友人が居て、そのご縁だけでこの週末の鴨川フットサルに参加させてもらっていた。

「どう、最近はボール蹴ってる?」
店主が訊いた。

「見ての通り、蹴ってるわけないじゃないですか」
私は自分の体型を誇示して見せた。

店主は苦笑した。

まるでサッカー経験者のように話しているが、私は小学生の頃に少し経験した程度のズブの素人で、チームメイトも似たような素人集団だったので、中学や高校でサッカー経験した者が多くいる他のチームと比べると戦力の差は明白だった。
ただそんな素人集団の我々にも面倒見が良くサッカーを愛する店主は、温かく接してくれて、たまに大会と称して京都東山フットサルパークでコートを貸し切っては、我々のチームも招待してくれた。
大会の度に私は職場の友人を頼って、元高校京都府選抜の大学生や自称松井大輔のツレという怪しい助っ人を招聘して、姑息な戦力アップを試みた。

「siestaといえば、宇治のタロウ君は今何してるんだろうか」

「当時の仲間ともあまり連絡を取ってないので詳しくは知らないけれど、ウクレレを弾いてるみたいです」

「ウクレレ?」

私も何て言えばいいのか分からないのだが、ただ事実なのだから仕方がない。

「でも、タロウらしいな」
店主は笑った。

ひとしきり共通の知人の話をした辺りで、彼の中に私という人間の記憶が存在していないことが分かった。

15年近く前に、約1年の間に月に2度ほど社会人や大学生が集まってサッカーボールを蹴っていただけで、ボール以外に私と彼の間には直接的なやりとりがほとんどなかったのだから仕方がない。

私の記憶の中には、獅子奮迅たる私のセービングを見て「siestaにカーンがいる‼︎」とか、当時から腹が出ていた私のリフティングやドリブルを見て「siestaにマラドーナがいる‼︎」と笑って喜んでくれた彼がいたので、ひょっとしたらと期待をしたが無理な話だった。

「今どこ、住んでるの?」
店主が訊いた。

「高野の方です」

「近くじゃん、また来てよ」

「また寄らせてもらいます。コーヒーとても美味しかったです。ご馳走様でした」

次に行ったら、と思った。
次にお店に行ったらきっと彼は私を見ても、初めて来た客と認識するだろう。
今は気さくに話をしてくれたが、それはそれで仕方ないと思う。

すっかり日が暮れた鴨川の遊歩道を歩きながら、ずっと言いたかったお礼と彼の淹れるコーヒーのファンであることが伝えられたことが嬉しく、私は上機嫌だった。
笑みが溢れていたのだと思う。そんな私を見て、連れ合いが「話せて良かったね」と言った。
「良かったよ。でも20年も前は言い過ぎじゃない? せいぜい15年前じゃない?」
と私は言った。

少し歩くと、当時集まってフットサルの練習をした場所を通った。
ちょうどこれくらいの時期だったろうか、年末の格闘技で曙とボブサップが対戦することが決まり、フットサルの練習を終えた我々はこの場所で着替えをしながら試合の予想をして盛り上がったことを思い出した。

曙‐ボブサップ戦があったのは『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』だ。見事に20年前の話だ。

私にとって20年の歳月は、10年のようである。


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