#36 なんだよその人違い、めっちゃ戸惑うやんか、怖いやんか!
みなさんは、誰か別の人に間違われたこと、ありますか?
私は一度だけ間違われたことがあります。
とても奇妙な間違われ方だったので、酷く戸惑ったことを覚えている。
***
2006年、07年あたりだったと記憶している。場所は東京大井町の『阪急百貨店 大井食品館』。現在の『阪急大井町ガーデン』にリニューアルする以前の話である。
その大井食品館のデパ地下(実際は地下ではなく1階だった)ようなところで、今晩のおかずは何を作ろうかと思案しながら(でも実際は購入するわけももなく)、豚カツとか肉まんとかサラダとかお惣菜のショーケースを眺めながら歩いていたら、突然背後から男性に声をかけられた。
「橋本さん」
あいにく私の名前は『橋本』ではないので、最初はその声が自分にかけられたものとは露程も思わなかった。
「橋本さん!」
もう一度声をかけられた。声量も一段大きくなっていた。その声に隣に居合わせた御婦人がビクッとしたのが見えた。
でも、まさか自分が呼び止められているとは思わなかった。
「橋本さんですよね?」
三度目は背中に手を触れられながらだったので、ついにその声が私に掛けられていたものだと理解した。
振り返ると、見たこともない青年が私に向かって目を輝かせながら、「やっぱり橋本さんだ。こんなところで会えるなんて」
と言った。
「橋本さん?」
「はい!」
「私は橋本ではないけれど……」
そう答えると、青年は「またまたご冗談を」という顔をした。
「橋本さんってどちらの?」
青年には『橋本さん本人』がしらばっくれているように見えるのか、納得しない面持ちのまま答えた。
「橋本真也さんです!」
(↓橋本真也さんを知らない方はこちらをどうぞ↓)
***
参ったな、と思った。
てっきり青年の知り合いの『どこぞの橋本さん』が返ってくるかと思えば、まさかの“破壊王”橋本真也。
よく見ると青年はプロレスのTシャツを着ていた。年季の入った黒地に『nWo』と白い文字がプリントされている。リストバンドをし、背中に背負ったリュックにはWWEスーパースターのフィギュアが吊るされ、青年が何か声を発する度、ふるふると揺れていた。
私もプロレスファンなので、橋本真也をよく知っている。
身体や顔のパーツの特徴をあげれば、確かに私と橋本真也に共通点は多いかもしれないが、あそこまで太っていないし、何せ剣道と水泳とサッカーしか運動経験のない一般人とプロレスラー(闘魂三銃士)だ。ガタイが違う。
似ているなと思ったとしても、本人と間違うはずはない。
それなのに青年は、憧れの橋本真也に巡り会えた喜びに胸をときめかせ、目を輝かせている。
酷い状況だ。
青年の感極まった声量の大きさに、周りにいた何人かが歩みを止め、「誰か有名人が来ているのか」という好奇に満ちた目をこちら(私)に向けている。
何事だ。
誰だ。
知らねえや。
何人かに勝手に期待され、何人かを勝手に失望させた。
「握手とサイン、よろしいでしょうか」
何よりもこの青年が怖いのは、橋本真也への憧れを私に真っ直ぐに向けてくること。自身に一片の誤りも無いと信じ抜いていること。
そして、やたら声がデカいこと。
「だから、橋本真也と違うんだけど……」
どこかでビデオを回されて、からかっているのかと思ってあたりを見回したが、そういうわけでもなかった。
青年は私の言葉を無視して、リュックを開けて何かを探している。
サインペンでも探しているようだった。
何の罪もないのに、私はいつの間にか大井食品館のど真ん中で窮地に立たされていた。
この局面をどう乗り越えようか必死に頭を回転させていると、彼の話に辻褄が合わないことがあり、青年に自身の誤りに気づいてもらえる言葉が思い浮かんだ。
「あのさ、君もプロレスが好きなら知ってると思うけど、橋本さんって一昨年くらいに亡くなってるよね?」
「……」
「だから橋本真也じゃないってわかってくれるよね?」
「確かにそうですね、橋本さん亡くなってたんだ。でもじゃあどうして」
「?」
「どうして橋本さんがここに……。ほんとすっごい似てますよね、まさに生き写し。生まれ変わりって言うのかな、これだけ似ていると普段から間違われて大変ですよね」
いやいや、一度として間違われたことなんてないし、生まれ変わるにしては、同時代を生きてきた。
「じゃあ、せめて握手だけでも」
半ば強引に私の手を取り両手で握手していくと、最後に私に向かって橋本真也が入場曲『爆勝宣言』が流れる中リングインし、リングアナウンサーに名前をコールされた時に額の鉢巻を解きながら3本指を天に突き上げるポーズがあるのだが、それをして見せ、さらに私にも促してきた。
おちょくってるんか。
誰がやるか、この野郎。
今思い出しても、あ〜怖い。
私に身に起きた人違いエピソードでした。