#49 最近嫉妬した話(しとばなー)
幼少期から小学6年までは両親に散髪してもらっていた。
小学2年生くらいの時に一度だけ母親が通う美容院でミュージカル『アニー』のようなくりっくりのパーマをかけられてものすごく落ち込んだことを覚えているが、その経験を除いて小学生時代に両親以外の誰かに髪を切ってもらった記憶はない。
中学から高校の6年間は、月1回のペースで理容店に通っていた。
中1で仲良くなったクラスメイトが、彼が通う理容室に誘ってくれ、そこでヘアスタイルというものに目覚めたのだ。
理容店に通うになった私は身嗜みに気を配り、女の子にモテる可能性を1%でも引き上げたいという純粋な想いから、毎朝朝シャンをし、ヘアムースを使ってドライヤーかけに勤しみ、ツーブロックとサラサラのセンター分けを維持していた。
大学生になると理容店から美容室に
鞍替えをした。
理髪店の親父の感性で“散髪”をされるより、年の近い美容室のお姉さんに“カット”してもらう方が、女性目線でモテスタイリングしてくれるんじゃないかという浅はかな考えからだった。
このようにあけすけに自身のヘアスタイル事情を告白すると、10代の私にとって髪の毛を切りに行くという行為は、異性を意識した思春期特有の衝動に突き動かされていたといって過言ではない。
然し20代に突入し私がどの店でどの様なヘアスタイルにしようと私のモテ事情に何の因果関係がないことを悟ると(遅いな)、ヘアスタイルなんてどうでもいいという極端な考えになり、平気で2年間髪を切らなかったり、突然丸刈りにしたり、仕舞いには鏡も見ず手元の感覚だけで自らを鼻毛切りハサミでカットをするようになった。
このセルフカットが意外と上手だったのか、それともヤバい奴と警戒されイジられなかったのか、はたまた単に誰も私に興味がなかったのか(コレだ!)、誰彼にヘアスタイルについて指摘されることもなく20代をやり過ごした。
そもそも髪を切ってもらっている間の理容師や美容師との会話が苦手だったし、次回の予約を入れる電話も億劫で仕方なかった。
お気に入りのスタイリストを見つけるために様々なサロンに飛び込むのも極度の人見知りを患う私にとっては苦痛だったので、その観点からいくとセルフカットは20代の私に平穏をもたらしてくれた。
30代になると流石にいつまでもこれじゃマズいと思い直し、再び美容室に通うようになった。
この頃には“モテるため”という不純な動機は削ぎ落ち、ただ単に社会人としてまともに見えるように、それだけの美容室選び。
そうして頑張って3ヶ月に1回くらいのペースでカットしてもらっていたが、20代に一度セルフカットという誰にも拘らずに散髪を済ませるという禁断の果実に手を染めた私には、次回の予約やスタイリストとのやり取りはやはりストレス以外の何物でもなく、兎に角髪が伸びるのが憂鬱だった。頭の形さえ良ければスキンヘッドにしてやりたかった。
40代になると連れ合いに家でカットしてもらうようになった。
連れ合いは割と器用な人なので上手にカットしてくれるし、予約も要らないし、会話もそれなりに続くので大変ありがたかった。
ただ2ヶ月に一回くらいのペースで散髪をせがまれるので、数年間程切ってもらったところでついに「面倒臭い、もう切りたくない」と引導を渡されてしまった。
斯くして私はヘアスタイル難民になった。
***
現在髪が伸びるとどうしているかというと、1月半に1度くらいのペースで“カット専門店”に行っている。
カット専門店は素晴らしい。
まずは予約がいらない。ちょっとした隙間時間にフラ〜と立ち寄ることができる。
金銭のやり取りも自販機に金を投入してチケットを受け取り、自分の番が来たらスタイリストさんに渡すだけ。
チェアに着座するよう促されたら呪文のように「周りを9mmのバリカンで刈り上げてもらって、上は1〜2cm伸びた分だけ切って下さい。もみあげは残して下さい」と告げるだけで、長くても15分後には店を出ている。彼らは仕事が早い。
カット専門店は静かだ。
延々と座席の前方に据え付けられたモニターからオリジナル動画と音声が流れているだけ。
スタイリストは無駄口をきかない。オーダー時とカット後のチェックの際に二言三言交わすだけである。
何回か同じスタイリストに当たっても毎回初めての客に当たったかのような均一な対応である。きっと仕事終えると1日の記憶を消去する装置をスタンガンのように後頭部に当てられているに違いない。
したがってもし気に入ったスタイリストに当たったとしても「前回と同じ感じで」といった常連のような振る舞いは通用しない。
カット専門店の客はお年寄りや子供が多い。
たまに若い人や外国人も見かけることがあるが、皆一様に死んだ魚の目をしている。
自分を含めそんな店内の様子を眺めていると、何処ぞの収容所で消毒液を噴霧され散髪をされているような気持ちになってくる。
半ば放心状態で約10分。気がつくと掃除機のようなものを頭に当てられ切った髪の毛を吸い込んでいる。カット専門店には洗髪なんてない。カットのみだからカット専門店なのだ。
そして「はい一丁上がり!」とばかりに鏡で後頭部の仕上がりを見せられ、ブラシで衣服に付着した毛を払われるとあら不思議、K1全盛期のピーターアーツとかひと昔前、平成時代の太田光(爆笑問題)のようなヘアスタイルにされた男が誕生する。10代の私が見たら卒倒モノである。
そんなカット専門店に通い続けているとその店にどんなスタイリストが在籍しているのかを覚えてくる。
指名制度がなく誰が切っても均一のサービスが提供されるので、毎回ピーターアーツか太田光になるわけだが、稀に同じ太田光でも令和版の太田光(ここ数年の太田さんの髪型良くないですか?)に寄せてくれる人がおり、そうしたスタイリストに当たると「次回もこの人がいいな」なんて気持ちが芽生えてくる。
そうした中、最近お気に入りなのが齢30前後の眼鏡をかけた痩せ型ショートカットの女性で、その女性はいつも私のオーダーを聞くと大きくひとつ頷いた後はクールな眼差しで静かにカットをしてくれ、私を令和版太田光にしてくれた。
彼女にはカット中のトークが苦手で普通の美容室ではなく、あえてカット専門店を就職先に選んだという感じがして、同じ人見知りとして勝手にシンパシー感じていた。
***
さて昨日そのカット専門店に行った時、私より順番が早かった布袋寅泰のような風貌で目がギョロリとした男性客が彼女に当たり、タッチの差で私は初めて目にする男性のスタイリストに当たった。
我々はほぼ同時に隣同士のチェアに案内され、私はチェアに深く腰を掛けるといつものオーダーを呪文のように唱え、なんとなく恨めしそうに隣の様子を窺っていた。
私の担当スタイリストが耳上を9mmのバリカンで刈り始めた時、耳を疑う声が聞こえてきた。
「お姉さん、ボクは読書が趣味だけど、お姉さんの趣味は何」
私語厳禁という店内で布袋寅泰のような男は突然彼女に声を掛けたのだ。
普段カット中に声を掛けられるようなことはないのだろう。彼女の背中がビクッと揺れたのが分かった。そして一瞬戸惑った表情をした後「私も読書が好きです」と震えるような小さな声で答えた。
彼女が戸惑っている上に、店の規則に反しているだなんて露程にも感じていない布袋は、その後も不躾に「好きな作家は誰」とか「自分は今どんな本を読んでいる」とかそういう話を続けていた。
客と会話をしたことが知れたら後で本部の者から何をされるか分からない。
やめたまえ君。彼女、困ってるじゃないか。
喉までそんな言葉が出かかっていたが、そんなことを口にしなくて良かった。
店中に張り巡らされた鏡面の反射で彼女の表情を追っていると、私の心配は杞憂に過ぎなく、どうやら布袋のトークは彼女の心を捉え始めていたようだった。
うまく再現は出来ないが、布袋はコミュニケーションお化けだった。
どうでもいい質問を幾つか投げかけたと思うと結局はそのほとんどを自分の話にすり替え、その度にちょっとしたユーモアを交えながら人懐っこい笑顔(強面の無邪気な笑顔ほどズルいものはない)を浮かべるものだから徐々に彼女が心を許していく様子が見てとれた。
結局10分後には彼女の方から近所のどこそこの店の何が美味しいから食べてみてくださいとか、今期秋ドラマの何々が面白いから見てくださいというようなことまで笑顔を見せて話すようになっていた。
私は隣でその会話を聞きながら、いつもクールで無表情な彼女から笑顔を引き出すことに成功した布袋に軽い嫉妬を覚えていた。そして漢としての懐の大きさの差に打ちのめされて軽い眩暈を感じた。
やがて布袋は令和の太田光風に、私に方は初顔合わせのスタイリストに森脇健児にされて店を後にした。
(※本投稿には私のカット専門店に対する偏見が含まれております)
追伸:連れ合いからはジャイアンとか毒蝮三太夫カットと言われます。