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#62 noteの『♡スキ』について
皆さんはnoteの『♡スキ』(以下、『スキ』)をどう使っていますか。
某月某日。
私のスキの使い方、変じゃないかしら、と不意に思った。
インターネットに限らず、常識やルール、マナーといったものに乏しい私は、ついさっきまで何気なく押していたスキの使い方が急に気になりだし、note公式のスキに関する記事を探して読んでみた。
ワクワクする記事、ほっこりする記事、タメになる記事、あなたに新しい視点を提示してくれる記事。そんな出会いがあったときは「スキ」や「フォロー」をしてみてください。コメントをしたり、自分の記事で紹介したり、SNSでシェアしたり…自分から反応すると、クリエイターやそのファンとつながれるかもしれません。
他ユーザーの記事で気に入ったものや、共感したものにはスキをつけることができます。
一読してみて、特段引っかかるようなことはなかったので安堵した。皆さん大体そんな感じだよねって納得もした。
だけど。
そこに書かれていた使い方と同時に、私自身はまた別の用途でスキを押していたことに気が付いた。
私のような者でも公式の見解とズレた使い方をしているのだ。
そう考えると、noteのクリエイターの数だけ考え方や使い方がある気がする——。
というような経緯から、今回は私のスキに対する考え方や使い方について書いてみようと思いました。
これから記す内容に、「noteに物申す!」という意思もなければ、皆さんの意見を募りたいというような意図もございません。
人によっては、残念に感じさせることを書くかもしれません。悪気はございません。そこはご理解いただけたらと思います。
また、こんな風に書き出すと、何やら大層なことや目から鱗的なことを発信するんじゃないかと期待させそうだが、その期待を大きく裏切るほどに、極々私的な話であることも先に断っておきます。
鴨川縁で私を見かけても決してお手持ちのペットボトルなど投げつけないようお願いする次第である。
***
私はスキを頂いたら、必ずそのスキを下さった方の記事を読むことにしている。
その理由は、大きく分けて2つあります。
①お礼のスキがしたい
②私の記事を読んで下さり、スキをくださった方がどんな人か知りたい
中にはスマホやPCの操作ミスでスキを押されたなんてこともあると思います。
かくいう私も指が太い上に老眼が合わさり日々のスマホ操作に難儀しています。タッチミスによる誤字脱字はもちろん、そんなに沢山ではありませんが誤ってフォローやスキをポチったこともあることをここに告白します。
そういった稀なケースは別として、どのような経緯で私の記事に辿り着かれたか分かりませんが、大抵のスキは記事を最後まで読んで下さり、何かしらのリアクションを私に送って下さったのだと推測いたします。
そのことに私は猛烈に感動するのです。
イメージとしては、漂流してたどり着いた無人島で浜辺に漂着した瓶やペットボトルを拾い集め、唯一手元に残ったペンと手帳をちぎってSOSを書いて流していると、上空からセスナやヘリコプターの音が聞こえ、見上げたら衣服や日持ちのする飲食物、調味料や本といった救援物資の小包が括り付けられたパラシュートが降ってきたような感じ。
なぜだー!
なぜ降りてきてくれないんだあああー!
助けてくれー‼
おでも連れてっておくれよーーー。
すみません、取り乱しました。
要約すれば、涙が出るほど、もし目の前にいらっしゃったらハグしたいほど嬉しいのです。
無人島生活で身に付けた自慢のヤシガニ料理を振る舞いたいくらいです。
『#20 私がnoteをはじめた理由』で書いたように、初めは誰の目にも触れなくても良いというつもりで始めましたが、今は一人でも多くの人に読んでもらえることに幸せを感じています。
故に、①のお礼がしたいという気持ちがフツフツと湧いてくるのと同時に、②のように、あのバカボンパパの顔にフグ田サザエの髪型のキャラクターがプリントされたTシャツをわざわざ選んで送ってくださったのはどこの誰で、そこにどんなメッセージがあるのだろうと興味が湧くのです。
この掻き立てられた興味を探求するために、スキを下さった方のnoteにお邪魔し、投稿数が余程多く過去に遡るのが大変でない限り、まずは最新の記事と時系列で1番古い記事を読ませて頂いております。
なぜ1番古い記事を読むかというと、その方がnoteを始めたきっかけや、どんなnoteを目指しているかという自己紹介要素が書かれていることが多いからで、そのクリエイターさんの想いや人となりを手短に知ることができるからです。
こうした経緯から一頻り記事を拝読すると、「私の記事を読んでくれてありがとう」と「読ませて頂きました」という感謝の気持ちを込めて、スキを押させていただきます。
はて。
そうなのです。
本来「この記事がスキ」という気持ちを伝えるボタンのはずのスキボタンが、感謝のボタンになっている。
スキという名前が付いているだけに、臆病者の私はそこに若干の違和感を感じるのだ。
そしてもう少し考えると、この『感謝』のボタンとしての使用目的以外にもスキを使っていることにも思い当たる。
私は、『既読』の目印にスキを利用しているのだ。
***
何事にも受け身な所が多い私は、ことnoteに於いても同じで、積極的に他の人の記事を読みに行くことが少ない気がする。
どういうことかというと、たまに『チェアリング』と検索をして、そこに引っ掛かる記事を読んだり、最近で言えば『文学フリマ京都9』に行ったので、来場者や出店者の感想が気になり検索した以外は、基本的にスキやフォローをくださった方の記事を読んで過ごしている。
元来器用ではないし、情報を捌くのも下手な上、余暇にあてられる時間も少ないので、手(目)の届く範囲の人とのお付き合いを大事にしたいと思っている。
さらにその範囲を広げようとする時は、スキやコメントで交流をいただいた方や敬愛する方々の記事に対して、気になるコメントを寄せている人がいたらその人の記事を読んでみたりもする。
note歴約1年半になる私にとって、現在のnoteの世界はそんな範囲で形成されている。
こうしてちょっとずつだが世界を広げていく中で一番困るのは、「見出しだけではそれが以前読んだことがある記事かどうか分からない」という問題である。
昔レンタルビデオで何度もやらかした、「ジャケ借りしたら観たことある映画だった」と同じで、途中だったらまだマシなのだが、場合によっては最後まで読んで、「あ、これ、前に読んだことあるやつだ」とnoteでもやらかしているのだ。
これを防止するために私は最後まで読んだ記事には必ずスキを押している。(気に入って何度も読みたくなるような記事については、ちゃんと覚えるように頑張っている)
そこにはスキを伝えたいという気持ちはなく、同じ記事を間違って読むのを防止する便利機能としてスキを押している。
そして、そうした一連の行為行う度に、ちょっとした違和感と罪悪感が常に付き纏ってくる。
誤解して欲しくないのは、読ませていただいた殆どの記事は、共感したり、ためになる情報だったり、勇気付けられたり、素敵だなと思ったり、ほっこりを頂いており『♡スキ』なのです。
ただ中には、最後まで読んでみたけれど何だったんだろうと思うものや、私の読解力の低さから内容を理解できなかったものもあるのも事実で、そういう記事に対してもう一度間違って読まないためにスキを押している側面もあり、その度にちょっと心が痛むのです。
①自分しか見えない既読の印が付けられる機能
②スキ以外に「ありがとう」「ほっこりしました」「感動しました」「最後まで読んだよ!」みたいな感情を表した簡単なメッセージボタン
否定的な感想を伝えたり、規制線を貼りたいわけではないんです。
きっとnoteに上記①と②、この2つの機能が実装されれば、私のスキに対するわだかまりのようなものは無くすことができる気がする。
でも今ある機能でやりくりしていこうと思うと、どうしても今のような『感謝』と『既読』の使い方になってしまうのだ。
小学生の時の友達関係や好きなヒト問題と同じで、結局私の『好き』と君の『好き』の重さ、度合いが違うのだ。そう割り切るしかないのだろうか。
以上、きっと擦り倒されているテーマだとは思いますが、noteのスキに対して個人的見解を書いてみました。
人付き合いが下手で挙動不審で誤解されがちだが、こう見えて私はハートフルな人間で、私のスキは皆さまが思うより、ずっとず〜っと大きく重いことをここに追記しておきます。