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 父が生きていれば82歳になる。

 父の人生が幸せであったかどうか、私にはわからない。順調なことばかりではない。辛いこともたくさんあったと思う。今となってはわからないことだけれど、幸せばかりの人生もないだろうし、たぶん満ち足りた人生だったのかなと思う。そして、そうであったらいいなと思う。少し早すぎたけれど。

 父は、一言で言うならば「かわいい人」だ。頑固なところや感情的なところもあるのだけれど、嘘のないまっすぐな人だ。その素直なところがかわいらしい。わかりにくい母とは対照的に、わかりやすい人だった。
 興味があることは、とことん調べて、チャレンジするバイタリティーがあった。インターネットが普及し、いろいろな情報が簡単に手に入るようになったことは、父の興味を広げる一助になっていたと思う。

 父の趣味の中で、私が影響を受けたことはふたつある。ひとつめは写真だ。私は父のとる写真が好きだった。今のデジタル写真と違って、フィルム写真の時代、1枚1枚の写真に込められた思いも大きかった気がする。現像するまで、どのように撮れたかわからない写真たち。現像した時のワクワク感を思い出す。父のとる写真は、光が柔らかく、私たち子どもの表情がよく切り取られていた。何気ない日常の写真がほとんどであるが、父の撮った写真を見ると、「私は大事にされていたんだなあ。」と思う。写真の中から、愛情が伝わってくるようだ。
 私も父のように写真を撮れるようになりたかった。父から写真の撮り方を教えてもらったのは、高校生の時だった。レンズやフィルムの選び方、絞りとシャッター速度の関係など、基本的なことを教えてもらった。高校の卒業祝いに、父は一眼レフのカメラをくれた。私はそれを抱えて、実家を離れた。大学でも、私はカメラを抱えて色んなものを撮った。父に追いつけるように、写真を撮っていたのかもしれない。
 結婚して、子どもが生まれ、子どもの写真を撮ることが多くなった。父が私の撮った子どもたち
の写真を見て言った。
「cotyledonの写真はいいね。」
父にほめられて、嬉しかったことを憶えている。

 もうひとつは、バイクだ。若い頃、父はバイクでツーリングするのが好きだったらしい。酔っ払うと、その時の話をよくしていた。父のバイクの話を聞くうちに、いつの頃からか、私はバイクの免許を取ろうと心に決めていた。大学に入り、免許を取る時、車と一緒にバイクの免許も取ることにした。結局、今は子どもの送り迎えもあるので、車に乗っている。でも、子どもたちが巣立ったら、バイクに乗りたいなあ、と今でも思う。

 もし、今も父が生きていたらどうしていただろうか。母と2人、穏やかに過ごしていたのではないかと思う。少しゆっくりと起きてきて、母と自分のためにコーヒーを入れるだろう。トーストとヨーグルトを食べて、バナナを母と半分こして食べるだろう。朝食の後は、裏の畑の水やりをしたり、体のため、近所を散歩をしたりするだろう。少し麻痺の残る左足を気にしながら、それでもがんばって歩くだろう。12時になれば、母のご飯を楽しみに、食卓に座るだろう。午後はグラウンドゴルフに出かけたり、おやつに大好きなあんぱんを食べたりするだろう。夜は、母と晩酌しながら、テレビを見るだろうか。「飲み過ぎよ!」と、母に怒られながら、「あと一口だけ。」なんて言ってグラスのお酒を飲み干すのだろう。

 もう来ることのない未来だけれど、想像するとふっと心があたたかくなる。母も父のことを思い出しながら、心があたたかくなる時間があればいいなと思う。

 お父さん、誕生日おめでとう。


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