雨上がり
子どもの頃、泥だんごを作るのが大好きだった。握るとぎゅっと硬くなる、泥だんごに向いている土がある。雨が上がり湿った土は作りやすかった。おにぎりみたいに、いや、おにぎりよりももっと力を入れて、ギュッギュッと握る。綺麗な丸い形になるように、少し手の中で転がしながら握っていく。形ができたら、さらに手の中でコロコロと転がして、まんまるにする。
次は、まんまるになった泥だんごに、サラサラとした粒子の細かい土をかけていく。少し湿った泥だんごに、乾いたサラサラの土がくっついていく。これを何度か繰り返すと、泥だんごの完成だ。
なつかしいなあ。夢中で作っていた頃、楽しかった。
今、わたしは楽しめるだろうか?
子どもの頃は、濡れるのも汚れるのも平気だった。爪の間に土が入っても気にならない。服に泥がついても、気にしない。
今は、爪の間に入ってしまった土をどうやって洗おうか、服に泥がついたら落ちにくいな、靴も汚れるしな…、いろいろなことを先回りして考えてしまう。子どもの頃のように、純粋に楽しむことはできないのかなあ。
雨の日、わざと水たまりに入って、スカートに飛び散る水しぶきが楽しかった。長靴の中に水が入って、タプタプするのも楽しかった。
汚れたスカートも、濡れた長靴も靴下も、全部洗ってくれたのは母だった。母の愛情と手間の中に、わたしの楽しさはあったのかもなあ。
雨上がりのグラウンドを眺めながら、ふと思った。
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